ケアンズ風物記
- 霧のマウント・タンボリン [2008/2/03]
ケアンズ風物記
南緯17度の太陽 其の98
霧のマウント・タンボリン
松本主計
「GUESS WHAT I BOUGHT?」。娘の弾んだ声が電話口から飛び出してきた。一瞬、私の好きなアンティークの掘り出し物でも見つけたのかナ、とも思ったが、そうならば、FOUND、と言うはずだ。サテ……と。
娘のパートナーが、シドニーの師団情報部からゴールドコースト近くのカナングラ軍事訓練所に、教官としての転勤が決定したのは、昨年の11月。つい、2カ月前のこと。
豪州陸軍マクナマラ中尉。娘が彼と知り合ったのは、彼のケアンズ分隊配属中。その後シドニー師団に転勤。娘はカンタスで働いているので、まとまって数日の休みが取れた時、いつもシドニーに飛んでいた。これが2年間続いた。
シッカリした性格の娘が選んだ男。親の私がとやかく言う筋合いはまったくないのだが、この男、最近の若い男に多い上滑りのチャラついたところがまったく、ない。豪州人には珍しく、義理固い。軍人らしく愛想はないのだが、やることに人間らしい気持ちと温かみがある。信用できる、と私は見た。かつて敵国だった豪州軍々人と同期のサクラを愛唱する典型的日本人の私とは、まァ何とかウマが合っている。
娘は彼がクイーンズランドに来るのなら、ブリスベンの空港で働いて、一緒に生活したい、と考えたようだ。空港での採用も決定し、仕事の始まる前にブリスベンで落ち合い、落ち着く先を探しに行った。
娘は電話でもう、買った、と言ってきた。
サテ、「何だエ」、と聞いた。娘の返事が良かった。「家を買ったヨ。私の家だヨ」。ヤレ、これは小さな買物ではない。私はすぐに、その資金ぐりを考えた。娘がそんなに金を持っているとは思われない。
「何処にだエ ?」
「マウント・タンボリン」
アー、あそこか。私の目の中に、ウッソウと繁る原始林とその中に埋没するように生活している人々が浮かんできた。良い所ではないか。過去何回か行ったことがある。
それにしても家を購入する資金が気になった。どうしたエ、と聞くと、半分は自分の金、残りは銀行から借りるようにしたヨ。
借りたら毎月利子を含めた支払いがある。私も金はないけれど、娘の借金ぐらい、何とか都合してやりたい。そう言うと、
「私も働いているンだヨ。親のお金を当てにするくらいなら、家なんか買わないヨ」
よう言うた。と私は伊予弁で思った。コリャ娘に一本やられたワイ。ヤレヤレ、年をとるとついウッカリ、娘に甘くなるところだった。
中尉の仕事場は、カナングラ。タンボリンから車で15分程度。山を下り切った所にある。ところが娘の場合、ブリスベンに通勤するのに、車で1時間以上はかかる。空港の仕事は早朝が多い。とすると、3時には起床しなければならない。体にキツイ、と思ったが、それは当然、娘も考えてのことだろう。娘の意思を信じよう。私は言葉を呑んだ。
2008年の正月は、タンボリンの娘の家で迎えた。雨で霧が深かった。寒い。ローカルによれば、真夏でこんな天候が続くのは、珍しいそうだ。娘の家は場所が良かった。観光客の集まるギャラリー・ウォークに歩いて5分。雨の合間を縫って、タンボリンの町並みを歩き回った。
ケアンズは雨量も多く、植物のよく育つ緑の町、と思っていたが、イヤ、このタンボリン域の原生林はその比ではない。よく繁っているばかりではなく、緑の色が実に濃い。土地が肥沃なのだ。娘の家の近所を歩くだけで、ブドウ、アボカド、モモ、カキ、クリ等々の果物類が道路端に育っている。良質の地下水が豊富なので、どの家も地下水をタンクに汲み上げ、同時に雨水を別のタンクに溜めて生活に利用している。だから町には水道課がなく、水道代がない。良質の水とは、何ともありがたい自然からの贈り物であることか。
タンボリンは毎日霧と雨だったので、何処にも遠出はしなかったが、1日だけ、NSW州のバリナでアンティーク店をやっている私の知人に会いに行った。私の家の家具はほとんど、この男から入手した。アンティーク家具は高い、というイメージがあるが、それは間違いだ。まず購入した時の価値は、使っていても下がらない。むしろ上昇する。新しい家具は見掛けはいいが、アンティーク家具の持つ品質と使っていた人間の温か味がない。売る時は二足三文。それにしても最近は家具も高くなった。
バリナに1泊。残念ながら今回は掘り出し物がなかった。翌朝、リズモアに入り、パブにて昼食。この町から間道を北上してヒッピーの町、ニンビンに寄る。汚い町だ。
ヒッピーたちよ。何物にも束縛されず、自由な生活を送るのはいい。それならば、筋を通して自給自足。自分たちの力で生きるべきだ。政府の金をあてにし、何もせず、その金でヤクを買い酒を飲むとは情ない。現実逃避と税金の無駄使いでしかない。そのうち彼等の間でこんな歌が流行る。“豪州ヨイトコ、1度ハオイデ……ア、ドッコイショ……”。
ニンビンから忘れられたような小村、UKIを通ってMURWILLIMBAHに出る。天気が良ければ素晴しいカントリー・ドライブ・コースだ。この町のガラクタを売る小さな店にいつも寄る。時々妙な物が出る。妻がジャーマンのビアーマグを安く購入した。
この町からハイウェイに出ず、州境に位置するNATURAL BRIDGE国立公園を通って、クイーンズランドに入る山道がある。まだ通ったことがない。走り込んだ。
よくまァこんな所に住み着いた、と感心するような家屋が、時々通過するブッシュの中から顔を出す。いったい何をして生活しているのだろう。
道が登り坂になった。繁る木々の濃さが増して来た。高い木々に光線をさえぎられ、薄暗くなった道路端にサインが見えた。NATURAL BRIDGE。入って見た。5分も走ると駐車場とトイレがある。車が1台。人気がない。雨が降っていた。周りは薄暗い。サインがあった。
“この駐車場、盗難多発。利用者はYOUR OWN RISK”。ヤレヤレ、エライ駐車場だゼ、と思った。
駐車場の片隅に車1台がやっと通れるくらいの坂道が、ブッシュの中に消えていた。入口にサイン。何とこんな奥にロッジがある。その看板の上にSOLDサインとガレージセールの張り紙が見える。なるほど、ロッジが売れたので、要らぬ物を整理しているのか、と思った。それにしても、こんな所のガレージ・セールに来る物好きがいるのだろうか。
イヤイヤ、物好きはいるものヨ。サインの目の前に。ジャパニーズの夫婦がいる。
ビタビタと木々から大粒の雨が落ちてくる薄暗い山道だった。少し行くとブッシュが開き、屋根の落ちた小屋と廃車がコロがっていた。手書きのサインが揚げてあった。
“DEATH THREATENING HIPPIE IN LOOSE THIS AREA”
コリャ何と穏やかではない。生命に危険あり、とある。ビビッた。しかしこの雨天。豪州のヒッピーなら、働かないでサボっているだろう。もう少し、入ってみた。道が二股に分かれている。右の坂道には、立入禁止のサイン。ならば残るは1つ。道がぬかっていた。クリークにぶつかった。水が道の上を流れていた。これまでだ。それにしても、ここまで入って来てロッジの気配もない。
もしかしたら立入禁止、の奥かもしれないが、何やら薄気味悪い感じがする。サボッて寝ているヒッピーに見つかる前に、退散するに限る。ガレージ・セールは諦めた。
マクナマラ中尉がカナングラの訓練所を案内してくれた。常時400人の兵士たちが訓練を受けているそうだ。ベトナム戦線に送られた部隊も、全員この場所で訓練を受けた。
その日は正月。兵舎には1人の兵士の姿も見当らなかった。クリスマスから正月にかけては、豪州の軍隊はこんな有様ですヨ、と中尉。ソンナラ60年前の12月8日、真珠湾をやらないでもうチョット待ち、直接豪州を叩いた方が良かったナァ。
同期のサクラの日本人オジンと叩き上げの豪州軍中尉が大笑い。平和とは、何ともありがたいものだ。
娘がケアンズを去り、特に妻にとっては寂しくなった。しかし住む世界がマウント・タンボリンまで広がった、と考えれば、行く所が増えていいものだ。霧も雨も風情があるけれど、次はタンボリンで青空が見たいナァ。
まつもと・かずえ●昭和17年2月1日生まれ。東京水産大学増殖学科卒業。1966年木曜島でPearls Pty Ltdに勤務。75年に退社。その後ケアンズに空手道場「Matsumoto Karate Academy」を開く。現在、オーストラリア空手連盟ノース・クイーンズランド代表
■写真■見事に育ったSTAG HORN。これはシダの一種で、胞子で繁殖する。こんなに大きな個体はあまり見ない。マウント・タンボリンのローカル・ショップの前にて
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