ケアンズ風物記
- 私の人生の一番長い週 [2008/4/24]
ケアンズ風物記
南緯17度の太陽 其の99
私の人生の一番長い週
松本主計
ハテ、何やら妙じゃ。足下がフワリ、と揺れたような気がする。立ち止った。その日、長雨がようやく切れて、久し振りの青空が目に痛かった。流れる雲が白い。週末のケアンズのマーケット。
気のせいだゼ、と思おうとしたものの、長年の空手の稽古で知り尽くした体の感覚。心のどこかで異常を察知していたようにも思う。少し歩いてみた。まァまァだ、と思った矢先、膝が一瞬スーッと抜け、足がヌラリと浮いた。ヤハリ来たか。直感は当たっていたワイ。それにしても、自分で感心している場合ではないゾ。66年使ってきたこの体。どこかが故障しかかっているらしい。マァ慌てるナ。気分を楽にしろ。空も青いゼヨ。
ユックリと歩いた。両手先に少し痺れが出た。胸に軽い吐き気がする。膝が軽い。その時初めて、コリャヤバイぞ、と考えた。
妙な咳が出る。馬鹿と何とかは風邪をひかぬ、という例えが当てはまるのか、私はまず風邪などひかない。2月に66歳になった。すぐその後だ。ヤレヤレ、年を1つ取ったくらいで、何とダラしないことヨ、と思ったりしたが、どうやら大当たりらしい。
そのうち良くなるべ、と放っておいたら、逆にヒドクなった。特に夜間は咳で寝つかれぬ。1週間も寝ないで道場に出ていると、さすがに疲れてきた。
背に腹は変えられぬワイ、と思った。メッタに医者の所には行かないが、どうやら潮時のようだ。メディカル・センターで診てくれた医者はインド人。最近急増した。どういうことなのだろう。アッサリと風邪と診断し、抗生物質を飲むように助言してくれた。
ところが1週間服用しても、まったく咳が止まらない。コリャ風邪ではないナ、とようやく気が付いた。咳をし始めて、もう3週間が過ぎていた。
「オッ、アンタがカラテのマツモトさん ? 」
よく初対面の人に言われる。ジャパニーズの垂れ目の小さなオジンと、空手、というイメージが結び付かないのだろう。
私の娘の年ごろに見えるその医師も、そう言った。ディオン、と名乗った。2度目の病院通い。やはり喉にトラブルがあった。道場でいつも大声を出すものだから、声帯などに無理がいくのかもしれぬ。まァ一種の職業病のようなもので、学校の先生などにも以前はよく見られたそうだ。
ディオン医師は剣道を少しかじったそうで、鉄の芸術日本刀に興味を持っている。奥さんも医師で日本人とのこと。診断が終わると、日本刀や空手の話ばかりした。私の蔵刀を見せる、と言ったら、喜んでその週末家族でやって来た。年は若いがいい家族と知り合った。咳は薬を変えると翌日、ピタリと止った。
手足の痺れに吐き気。それに足がもつれるとあってはロクなことはない。私の家系の男たちは父も含め、全員脳溢血で死んだ。父は53歳だった。私も死ぬ時は同じような死に方をするんだろう、とボンヤリ思っていた。
町から用心しながら車を運転し、何とか我が家に辿り着いた。すぐ横になった。もしかしたら私の家系の前兆かもしれぬ、と思ったが、妻には黙っていた。まだ逝くのはチョット早過ぎる。その準備もしていない。空手の稽古では、まだ体がビンビン動くので、お呼びはまだ先のことだと信じていた。それにしてもこの気分の悪さはどうじゃ。寿命は神様が決めるものだのに、私が勝手に信じ込んで、神様が怒ったのかもしれぬナァ。
動くと気分が悪いので、すぐ近くに住む道場の門弟、マークに電話した。彼はケアンズ・ポリスのインスペクター。彼が救急車とともにスッ飛んで来た。
救急車の職員は一応の基本的症状を診てくれる。脳溢血の症状ではない、と言う。それならば安心。大げさに病院まで連れていってもらうのも、悪い気がする。辞退した。
夕方までゴロゴロしていた。吐き気がとれない。知り合ってホンの数日のディオン医師に、週末で悪いけれど、彼の見解を聞いてみようと思った。彼、すぐに来てくれた。
週が変わると急に慌ただしくなった。ディオン医師が私の全身の検査を依頼してくれたからだ。彼が木、金の2日間出張なので、その前に検査の結果が出るようになっていた。生まれて初めての全身の精密検査。
その週末はQLD州の空手道州選手権大会がブリスベンで開催される。私の道場は12人が出場。そのうち4人が未経験で今年の選手層のレベルは高くない。試合用の稽古は毎日の道場稽古では特にやらないので、選手には土・日を返上して、頑張らせている。子どもの出場、9人。彼らをやる気にさせるには、まず私が動かねばならない。
試合前の最後の稽古の日に、体に異常が起きた。翌日の日曜日、体に少しのフラつきがあったが、最後の締めくくりに、無理して稽古に出た。まァ何とか無様な負け方はしない程度にはチームを持ってゆけた。勝つに越したことはないが、悔いの残らない戦いをしてほしい。子どもを試合に出す最大のメリットは、試合を越えるたびに、子どもたちが精神的に成長することだ。
精密検査の結果はディオン医師が驚くほど、私の体は40〜50代の若さで健康だった。空手の稽古のお陰だろう。1つ……欠陥が出た。頭部に入る頸動脈に塞栓物がある。再びその検査。血液の流動は80%良好で、普通の生活にはさしつかえはないそうだ。ただし、血管壁に溜まった塞栓物が離れ、脳まで流れ込むと、まァ私の人生は終了ということにもなりかねない。塞栓物は少ないので、今すぐという訳ではないんだヨ、とディオン医師は言うけれど、ヤレヤレ、これじゃ爆弾を頭の中にセットしたようなものだ、と思った。現在の状態での塞栓物の除去は、むしろリスクの方が大きい、とも言う。若くして死んだ私の父も、もしかしてこれが原因かもナ、と思ったものだ。
平常に戻っていた私の体に再び頭痛と吐き気が襲ったのは水曜日の夜、ブリスベンに発つ2日前。ひどい頭痛。夕食中だった。今度は少しビビった。これが2度目の発作ではないか、と心配したからだ。
翌日も同じだった。食事はまったく取れない。再びマークが救急車を連れてきてくれた。EMERGENCYに連れて行かれたものの、CTスキャン1つ撮るのに、5時間近く待たねばならなかった。これじゃ余計に悪くなるワイ、と思い、ほかにもまだ検査が残っていたのに逃げ出した。気分が少し楽になっていた。
出張中のディオン医師がケアンズに戻ったのが金曜日の夜8時。それなのにすぐに我が家まで来てくれた。一応の診察の結果、別に異常はない。となると、薬かもしれぬ、と彼が言う。血を薄くするかなり強い薬を服用していた。考えてみると、ひどい頭痛は薬を服用した後にスタートした。私は今までほとんど薬らしい薬を服用していない。私の体が薬の強さを受けつけなかったのだ。
ヤレヤレ薬で良かった、と思った。2日間、吐き気とヒドイ頭痛に苦しんだ。ブリスベン行きもキャンセル。選手たちはそれぞれ、私を残して試合に向かった。
私の体が悪い、というニュースは、道場のメンバーを通して、アッという間に広がったらしい。クイーンズランドのアチコチから、気遣いの電話が掛かってくる。ディオン医師をはじめ、何人もの道場生には、直接何とも世話になった。ありがたいことだと私を取り巻く多くの人たちに感謝したけれど、考えてみれば、私も彼らにそのように接してきた。人を利用せず、人にへつらわず、日本人としてのプライドを通し、誠実に彼らに接してきた。それが私に返ってきたのだと思った。
ケアンズの街中でフラついて以来、この1週間、実に私の人生の中で一番長い1週間となった。
「お前さん、いつまでも若くはないんだヨ。ぼつぼつ道場も止めて、日豪プレスなんかにつまらンこと書くのも、終りにしたら…」
ソウダナァ、と思う。いろいろあったようでも、平凡な人生にも感じられる。空手しかできない自分だから、死ぬまで空手衣を着ていたいとも思う。妻はぼつぼつ、もう少し毎日の平穏な暮しを夢見ているのだろうか。
「センセイ、アウナがGOLDを取ったヨ」
ケイトの声が電話口から飛び込んできた。8歳の日本人の子ども、アウナは、身重のお母さんと2人で試合に向かった。妻がいつも付きっ切りでアウナの型を指導していた。ソウカ、あの小さいのが、よく頑張ったナァ。良かった、良かった。子どもたち9人の成績、メダル16個。まだまだ道場閉めれないナァ。
まつもと・かずえ●昭和17年2月1日生まれ。東京水産大学増殖学科卒業。1966年木曜島でPearls Pty Ltdに勤務。75年に退社。その後ケアンズに空手道場「Matsumoto Karate Academy」を開く。現在、オーストラリア空手連盟ノース・クイーンズランド代表
■写真■2008年1月の稽古始めの前日。道場大掃除のボランティア道場生。私の道場は空手は大したことないけれど、人間的に光っている連中がたくさんいる。子どもの質もいい。20年以上稽古しているのは、ザラだ。こんな連中を残して道場を閉められないナァ。掃除を終えてちょっと1杯
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