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    ケアンズ風物記
     - 終戦記念月に寄せて。ココダへの夢  [2008/8/21]

ケアンズ風物記
ケアンズ風物記
南緯17度の太陽
其の102

終戦記念月に寄せて。ココダへの夢
「心臓が止まるかと思うたゼ。日本兵がナァ、アレ振り上げて、ジャングルから跳び出して来た時はヨー」。言いながら、男はチラリと埃りに白くまみれて、乱雑な仕事場の壁に吊してあった古びた一振りの日本刀を見た。男はケアンズの木工師。日本刀を持っているというので、見に行った。30年も前の話だ。

<写真>クエの仕掛けに間違って食いついてきた2.5メートル位の小さなサメ。海岸の浅い所まで引き寄せ鈎を外し、浅瀬で少しの間一緒に遊んで放流。養殖場では、いつも素潜り潜水をするので、こんな小ザメならともかく、4メートルを越す大ザメは排除しなければ危い時もあるように思う

「オラァナァ、もう夢中で、抱えてた3O(スリーオー。豪州軍制定小銃303の通称)を頭の上に差し上げたヨ。撃つ間もなかったナァ」
 叩き付けるような日本刀の攻撃は、3Oの木部を断ち、「エレェもんだゼ。銃身にまで斬り込んだゼヨ」。
 日本刀は通常、表面が鏡のように見事に研ぎ上げてある。滑らかな刃面は、何かを斬ると、ヒケという擦ったような傷が付く。ましてや銃身にまで斬り込んだ刀なら、刀身が曲がるか刃こぼれの1つもあるはずだ。
 嘘だ、と心の中で思った。その刀、ヒケもなく、全く使用されていなかった。彼の話は本当だろう。しかし、彼の身に起きたことではなく、彼の戦友からの又聞きに違いない。ジャングルが細い急坂の両側に、まるで壁のように繁る百キロにも及ぶ第二次戦中の日豪の激戦地。ココダ・トレイル。
 昭和17年7月。日本軍は豪州攻略の拠点として、豪州軍の駐屯するポート・モレスビー奪取を計画。折しも、ミッドウェーとサンゴ海海戦の失敗で海路からの攻撃を断念。ニューギニア北部域に上陸し、スタンレー山脈を縦走して背面からモレスビーに迫るという無謀な作戦に出る。北部域沿岸の内陸の村、ココダ。海抜4百メートル。ここから標高2千メートルの山脈を越え、モレスビーから30キロの地点、OWERS CORNERまでの百キロの行程を、ココダ・トレイルという。私は豪州に住む日本人でありながら、豪州人の誰もが知る日豪最大の激戦地、ココダの名前を知らなかった。

 日本兵の頭蓋骨を持ってるゼ、という人をはばかるような電話をもらったのも、このころ。男の家を訪ね、出された古びた新聞紙でくるんであった頭骨には、銀白色と錆びたような変な塗料が塗ってあった。ニューギニアのある部族は、そうやって死者の霊を祀るのだという。後になって、その部族をいろいろ調べてみたが、結局判からなかった。
 頭骨には左のこめかみに、指二本がスポッと入る程度の、不規則な黒い穴が開いていた。銃創ではない。向い合った右利きの相手に、何か鈍器のような物で撲殺されたのだ、と思った。
 どこから来たェ、と男に聞いた。男は掠れたような低い声で一言。ココダ・トレイル。
 ココダを縦走した日本軍は、その後背後を絶たれ、補給もなくなって孤立した。食糧も武器弾薬も底をついた。戦友の死肉を食べ、死体に湧いた蛆虫までむさぼって食べた。1万人近くの日本兵が肉弾戦と飢餓で死んだ。悲惨この上ない戦いだった。
 たまたまジャングル近辺の小部落に遭遇した逃走中の日本兵が、彼らの畑に作物を盗みに入ったことは、想像にかたくない。その日本兵、部落民に見つけられ、撲殺されたとも考えられる。この頭骨、放ってもおけなかった。
「また、妙な物を手に入れたのじゃあるまいナァ。何じゃ、それは」
 日本兵の頭骨を抱いて車に戻ると、待っていた妻がいぶかしげに問うた。頭骨と知ると、呆れたような顔をして私を見返した。そして、
「ベッドの下なんかに置くんじゃないヨ。気色悪くて眠れないヨ」。「オス」。私は元気よく返事をした。それですんだ。この日本兵の頭骨、今も私の書斎に一緒に住んでいる。

 喉が妙にイガイガする。咳が出る。風邪などメッタに引いたことはないのに、まァ風邪だろうと自己判断して風邪薬を服用した。3週間たった。一向に良くならない。咳は夜ひどく、眠れない。横になった状態でひどい咳をすると、やがて背中や腰にくる。
 ようやく重い腰を上げて医者に行った。私のようにいつも道場で大声を出していると、喉に炎症を起こすことがあるそうだ。それが咳を誘発する。3週間以上眠れなかったので、少し体力が落ちた。それだけならまだいい。咳のプレッシャーが腰にきて、医者からの薬で咳は止まったものの、今度はギックリ腰のように動けなくなった。ヤレヤレ、一難去ってまた一難か。
「センセ、どうですか、行ってみませんか」。もう30年近くも道場に通っているクリスがある時サッパリした顔で私に問うた。
「どこにだェ」と聞くと、「ココダ・トレイル」
 豪州人の誰もが、自国のプライドを持って知っている2カ所の激戦地。第一次戦のトルコのガリポリと最近その株が上昇中の第二次戦のココダ。行きたい。切実に思った。  戦後の極東裁判の一方的判決とその後7年間の占領政策で、日本の歴史は極端に、連合軍の都合の良いように曲解されてしまう。歴史は常に勝者により、創られてきた。それをそのまま左翼系分子が受け継ぎ、現在に至るまで、中国にはヒコヒコと尻尾を振り、道徳の欠如した教育や、公務員でありながら自国の国旗にさえ拒絶反応を示すような異常な国民性を創り上げてきた。
 式典で国旗に起立しなかった公務員たち。都に処分されたのを違法として東京地裁に訴える。ところが裁判長、式典で公務員に国旗掲揚、国歌斉唱を強いるのは、違憲である、として勝訴させ、おまけに都に慰謝料まで払わせてしまう。2年前の事件だ。
 アホか、と馬鹿馬鹿しくなった。豪州にもジョークに似たようなナンセンスな法律がまかり通っているけれど、そんな豪州人にも恥かしくて、こんな話はできっこない。怠け者だらけの豪州人でも、まだまだ彼らのナショナリズムは、日本人よりもまともだ、と思ったものだ。歴史、特に日清、日露戦争以降の近代史は、日本人全員に、しっかりと伝達されなければならない。歴史から学ばなかった国は、また同じ誤りを繰り返している事実は、歴史がまた証明している。

「どれくらいの体力がいるのかェ」。クリスに聞いた。一応の目安が知りたい。必要ならば、山登りの訓練も開始しよう。
 ケアンズの郊外の町、ゴードンベールに、ピラミッドとして知られる海抜950メートルほどの急坂の山がある。山麓から頂上まで往復して早くて4時間。きつい。しかしこの程度なら、何とでもなる。ところがこのピラミッド往復をすぐさま2回できる体力と脚力が要る、と言う。私は膝が少し弱くなった。2往復とはキツイ。私の膝がもつだろうか。少し、ビビった。
「屋形の下に大きなクエがたくさんいるンですけどネ。用心深くて、なかなか食って来ないですナァ。クエも1メートル前後になると、身もしまり、イヤ、ウマイですナァ」
 ヨシ、それを釣るべ、と思った。豪州最北端、トーレス海峡の小島、木曜島。その隣島に私の相棒、高見君がやっている南洋真珠養殖場がある。今月の始め、戻って行った。  大物は小魚のようにすぐには食ってこない。普通の魚を狙うかたわら、細引きのようなラインに大鈎。餌は小魚を丸まま付け、放り込んでおいた。細引きは直径40センチほどのゴツいリールに巻いてあった。
 何匹かの小魚が釣れていた。食いが止まった。風のやや強い、空の青い日だった。突然リールがズルッと動いたと思ったら、駆け寄る間もなく、バンと空中に跳ね上がり、屋形の鉄製の枠に衝突して砕けたまま、海中に落ちてしまった。
 強烈な当たりだった。大きなサメだ。浮いたリールから、細引きがピンピンと海中に伸びる。ほどけ切る前に、リールを摑まないと、全部持って行かれてしまう。屋形に舫ってあった小舟に飛び乗り、エンジンをかけた。リールを追った。ところがすぐに、エンジンがストン。止まった。燃料がなかったのだ。小舟はすぐ、屋形から近い泥地の浅瀬に吹き寄せられ、エンジンを上げると、泥地へ飛び下りた。ズブッと膝まで入った。屋形までこの小舟を押していかねばならない。
 以前やった腰がまだ完全ではなかったので、用心しながら重い小舟を押した。屋形までもう1歩という時、片足がスビッと深い泥地に取られ、ザブッと胸まで海中に入った。その時、ズルリと腰骨が動いた気がした。
 屋形にたどり着き、小舟の中に倒れ込むと、動けなくなった。治りかけていた腰にきた。濡れたまま横になっていた。寒かった。その夜からまた、咳が出始めた。咳のたび、ズキズキと腰にきた。せっかく島に戻ったのに、2日間寝てしまった。

 コリャ駄目だ、と思った。10日間のココダ踏破はもう2カ月後。自分の体の調子は、自分が一番よく判かる。無理して行くと、同行する者たちに迷惑をかける。断念せざるを得ないナァ、と思った。まだ、66歳。ココダへの夢は捨てた訳ではないゾ。自分に言いきかせた。それにしても「何やら急に年をとった気がするナァ」、妻にぼやいた。
「お前さん、それでいいンだヨ。今までが元気過ぎたンだヨ。普通になったンだヨ」。妻がそう言った。

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