豪州回顧録
アリスからウルルへ
大陸の「ナゾ」を実感
麻生雍一郎(読売新聞初代シドニー特派員)
1965年3月、早稲田大学第一政経学部政治学科を卒業、読売新聞東京本社入社。社会部警視庁担当を経て経済部。シドニー、シカゴ支局を開設。読売アメリカ社、読売インターナショナル社、読売香港社の社長を歴任。「移民大陸オーストラリア」の連載で第一回日豪交流ジャーナリズム賞(サザンクロス賞)。企画、取材キャップを務めた「環太平洋の時代」で第二回大平正芳記念賞をグループ受賞した。 |
30年以上も前になるが、日本で「アリスのような町」というモノクロ映画を見たことがある。内容は忘れてしまったが、砂漠の中に孤立しているアリススプリングスという町に真っ白な光が降り注いでいる一場面だけが脳裏に焼きついて、行ったことも、見たこともないこの町のことがずっと気になっていた。
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| 中央砂漠の真っただ中に開けたアリススプリングスの町並み。向こうへマクドネル山脈とシンプソン渓谷が見える(筆者写す) |
ウェブサイトで調べてみると、「A Town Like Alice」は1950年に出版された英国の作家ネビル・シュートの原作を基に1956年と81年にフィルム化されている。太平洋戦争の最中、マラヤで働いていた若くて、美しい女性ジーン・パジェットは日本軍の進駐により捕虜となる。灼熱の中を村から村へと移動させられる中で女性や子どもが飢えと病いで相次いで亡くなるが、ジーンは行進中にオーストラリア人捕虜ジョー・ハーマンと巡り会う。彼は疲れ果てた人たちを助けるため、鶏を盗もうとするが、日本軍に見つかってしまう。
戦争が終わってロンドンに帰ったジーンだが、ジョーが話してくれた故郷アリススプリングスの町のことが忘れられない。ジーンは数年後にそこを訪ね、ジョーと再会する。2人が結婚し、アウトバックに「タウン・ライク・アリス」のような小さな町を造るところで映画は終わる−−。ウェブサイトでこのようにプロットを再現してみても、私の記憶は戻らない。ただ、過酷な戦争体験をベースにしながら、白い、透明な光がフィルムに連続して流れていたような印象だけがある。
1980年代になって私にもアリススプリングスを訪れる機会がやってきた。読売新聞の特派員としてシドニーに駐在した縁だ。1度はダーウィンからジープでキャサリン・ゴージ、テナント・クリークを経てアリススプリングスまで南下した。2度目はアデレードからの新ガン特急に乗って入った。
岩肌をむき出しにしたマクドネル山脈がレッド・センターの真ん中で数十メートルだけばっさりと切れ、造化の魔法のようにシンプソン渓谷を造っている。その谷間を通り抜けた時の不思議な感覚。眼前にアリスの町が開けている。乾いた、赤茶けた、低い家並みが続いている。ここはノーザン・テリトリーの呪文をかけられた建築家たちが砂漠の赤土に棒で線を引いて設計した町ではないのか。一瞬、そんな思いがした。車を降りると乾ききった空気に目が眩むのを感じた。空から降り注ぐ光も、大地がはね返す熱も、余りにも強い。初めのうちは目を開けているのが困難で、立って歩くのを苦痛に感じた。
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| アボリジニの聖地となっているエアーズ・ロック(Toursim NT) |
灼熱の、乾いた、赤茶けた町
日中の温度は40度に上がり、夜間の温度は氷点下10度に下がる町。理想郷などとはとても言えないその砂漠の町へ、毎日、多くの旅人たちが−−オーストラリア人だけでなく、アメリカ人、ドイツ人、フランス人、ニュージーランド人も−−ずだ袋を肩にやって来る姿を見た。訪れた外国人の中には、この厳しい環境へ身も心も引きずり込まれてしまい、長い期間、滞在するだけでなく、住みついてしまう人も少なくないと聞いた。
私が1981年に訪問した当時の人口は1万3,000人。それが2001年の国勢調査によると2万8,000人。07年現在では3万人になっている。アボリジニの人たちを対象にした住宅が整備されたり、観光やカジノなどホテル、旅行関係に従事する人たちが増えたのが主な理由だろうが、外国人訪問者でここに住みついた人たちも人口増にひと役かっているのだろう。
歴史をさかのぼれば、オーストラリア大陸探検の父、マクドアル・スチュアートがレッド・センターに足を踏み入れ、マクドネル山脈のふもとへ到達したのは1860年のことだ。「赤い礫岩の巨大な壁はほとんど垂直に立ちはだかり、越えられそうもない。荷物や衣服や皮膚までも引き裂かれ、傷つきながら回り道をした」(スチュアートの日記、木崎甲子郎「幻の内陸海」より)。同年4月21日、スチュアートら3人が現在の町の基点ともいうべき大陸中央の原野にぽつんと立つ。フィリップ総督がボタニー湾に上陸してから72年目、今年からさかのぼること147年前である。
“スチュアートの丘”に登り、アリスの町並み、マクドネル山脈、シンプソン渓谷、そしてスチュアート・ハイウェイを一望した。暮れなずむ夕陽を浴びた町は天と地の間に浮かんでいるようにも見える。もともとスチュアートと名付けけられた土地に1870年代、電報局が建設されると、そこはロンドンからシドニーまでをつなぐ遠大な電報網の重要な基地となる。この電報局のすぐそばに湧き水があり、時の南オーストラリア州郵政局長チャールズ・トッドの妻アリス・トッドにちなんで、アリススプリングスと名付けられ、次第にスチュアートよりアリススプリングスが一般的な呼称になったと言われている。
周辺には数多くの観光資源があるが、旅行者を最も惹きつけるのは、アボリジニの人たちがウルルと呼ぶエアーズ・ロックだろう。周囲9・4キロ、高さが360メートルの世界最大の一枚岩はアリスから西南へ約300キロ、中央部の吹きさらしの砂漠の中にそびえていて、太陽が照りつける日中はオレンジ色に、日没には燃えるような赤色に変化する。エアーズ・ロックの地下に埋もれている部分は、地表に出ている岩の6倍にもなるという。
そして、砂漠の中にどうしてこんな巨大な一枚岩があるのかについては、誰も納得のいく説明ができないのである。大昔、地球が別の惑星と異常接近した際の“落し物”ではないか、UFOの基地ではないか、との説もある。
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| アボリジニが残した遠いドリームタイムの時代からの岩絵(Tourism NT) |
ドリームタイム伝える岩絵
エアーズ・ロックはアボリジニの人たちの聖地であり、岩肌には遠いドリームタイムの時代からの岩絵が残っている。オーストラリアに対する深い造詣で知られるフランスの政治学者アンドレ・ジークフリートがこの岩山を見たかどうか、私は知らない。しかし、彼が内陸部に足を踏み入れたことは間違いなく、恐らくエアーズ・ロックにも来たことがあるだろう。「オーストラリア大陸は、1つのナゾに包まれている。そのナゾはどんな学者にも解けないだろう」という彼の言葉は、シドニーやメルボルンなど沿岸部だけを見ていた学者の口から出てくる言葉ではない。
私の知人でシドニーに出張する度に国内便に乗り換えてアリススプリングスへ、そしてアリスからエアーズ・ロックへと訪ねる人がいる。「短いオーストラリア滞在でもエアーズ・ロックを見ないと気持ちのおさまりがつかないんだ」と話してくれたことがある。アンドレ・ジークフリートがいう「この大陸のナゾ」とは何なのか−−。それを言葉で表現することは難しい。しかし、その「ナゾ」が確かに存在すること、その「ナゾ」が人々を惹きつけてやまないことを、アリススプリングスやエアーズ・ロックを旅する人の群れが証明しているように私には思われる。