豪州回顧録 第10回
UFOの出現、18世紀の昔から
バス海峡では詳しい交信記録も
麻生雍一郎(読売新聞初代シドニー特派員)
1965年3月、早稲田大学第一政経学部政治学科を卒業、読売新聞東京本社入社。社会部警視庁担当を経て経済部。シドニー、シカゴ支局を開設。読売アメリカ社、読売インターナショナル社、読売香港社の社長を歴任。「移民大陸オーストラリア」の連載で第一回日豪交流ジャーナリズム賞(サザンクロス賞)。企画、取材キャップを務めた「環太平洋の時代」で第二回大平正芳記念賞をグループ受賞した。 |
オーストラリア中央部の吹きさらしの砂漠にそびえるエアーズ・ロック。周囲9キロもの巨大な一枚岩が出現した原因について、大古に地球が別の惑星と異常接近した際の“落し物”ではないか、UFOの基地ではないか、との説があると前回書いた。現代科学をもっても解けないナゾUFOについては世界的な関心が高く、米、英、仏、独、豪などの国防省が空軍を中心に数十年にも及ぶ追跡調査を行っている。英国国防省は30年間にわたって行った1万件余のUFO情報の極秘調査の結果を昨年5月、400ページの報告書で公表。フランスでは国立宇宙研究センターが今年3月、半世紀にわたり調査したUFO写真など400点をホームページで公表すると、アクセスが殺到してサーバーがパンクしたという。
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| キンバレー地区の洞窟に描かれた岩絵。大勢の口のない人(?)が下半身には胴体や足ではなく、たくさんの糸のようなものを付けて飛行しているようにも見える(FREDERICK
D. McCARTHY著「AUSTRALIA'S ABORIGINES Their Life and Culture」から) |
日本ではさる10月4日、日本テレビが2時間のUFO特集を放映。この中で石破防衛相はUFOが仮に襲来した場合「(発進した自衛隊機が)翼を振ったりして領空侵犯を知らせ退去を迫るが、状況次第では米軍と協議し、出動要請ということも考えられ、いろいろな事例を基に法律的な枠組みを役人たちと協議している」と語った。この特集ではオーストラリアの事例が取り上げられなかったのが残念だったが、オーストラリアはUFOの目撃情報が非常に多く、また観測の歴史も長い。
未確認飛行物体や不思議な発光体はキャプテン・クックがエンデバー号を指揮してシドニー湾に上陸した1770年に早くも観測され、同行した博物学者ジョセフ・バンクスが日記に記録している。1793年のニュー・サウス・ウェールズ植民地記録にも不可解な飛行物体の目撃記録がある。1800年代になるとシドニー郊外パラマタでの“空飛ぶ機械”の目撃や“飛行するノアの箱舟と地上目撃者との対話”などUFOとの遭遇、接触、対話の事例が次々に現れる。
当時はまだ飛行機が出現していないのだから目撃者たちが浮遊物体を「機械」や「箱舟」と表現したのは理解できる。オーストラリアのUFO研究の先駆者ビル・チョーカーは“Early
Australia Historical Encounters”(1997年)の中で個々のケースを紹介し、その解説を試みている。
1900年代になり、飛行機が登場するとオーストラリアでのUFO情報は形状、飛び方、速度などが飛行機と対比され、より具体的に示されるようになる。私が読売新聞シドニー特派員として赴任した1978年にも全オーストラリアはもちろん世界中の話題をさらったUFO事件が起きた。この年10月にオーストラリア本土とタスマニア島の間のバス海峡で、当時20歳のフレデリック・バレンティッチさんの操縦するセスナ機が「UFOが自分の機の周りをしつこく飛び回っている」と管制塔に伝えて行方を絶ったのだ。
セスナ機につきまとった緑色の物体
フレデリックさんはこの日、バス海峡のキング島からザリガニを運ぶためメルボルンを飛び立ち、オタウェー岬の上空まで来たところで、午後7時6分、緑色の光を放つ飛行物体が接近して来るのを目撃した。セスナ機は7時14分、メルボルン管制塔との連絡を絶つが、その間に次のような交信が残された。
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| 雨を与える者(rain giver)とのタイトルが付けられたアーネムランドで見られる岩絵(同じ著作から) |
パイロット「この辺に5,000フィートの高度で飛んでいる飛行機があるか ? 」
管制塔「ない。どんな種類だ ? 」
パイロット「確認できない。4つの明るい光がある。自分の機の1,000フィート上を通過した」
パイロット「東の方角からこちらに近づいてくる。何かゲームでもしているような飛び方だ。スピードは測れない」
管制塔「そちらの高度は ? 」
パイロット「4,500フィート。これは飛行機ではない。これは…」
(交信が一時途絶える)
管制塔「どんな形のものか描けないか ? 」
パイロット「すごい速さで飛び去った。長い物体だ。それ以上は分からない。今度は直接こちらに向かって来る。静止しているみたいだ。私の機の上で旋回している。緑色の光。外側に金属性の光」
(フレデリックさんはこの後UFOが見えなくなったと伝えてきた)
管制塔「消え去ったと確認できるのか ? 」
パイロット「その通り。何だったのだろう ? 空軍のやつか ? 」
管制塔「違う。その付近に軍の飛行機はいない」
パイロット「エンジンの調子が悪い。ガタガタしている。ああ、また見たことのない飛行物体がこの機の上をつきまとっている」
この後、管制塔の交信機には長い金属音が入り、交信は途切れた。気象官によると、フレデリックさんのセスナ機がUFOと出会ったとされる時間、付近の天候や気流などの条件は極めて良く、パイロットの視界を遮るものは何もなかったはずだという。
この時のUFOではないかと見られるものは地上からも目撃された。キャンベラ在住の技術者ウェーン・ベリュ―氏と妻のポサリーナさんは同じ日の午後8時過ぎ、フレデリックさんがUFOと遭遇したオタウェー岬から約700キロ離れたNSW州のベイトマンズ湾近くで週末キャンプのテントを張ろうとしていた。その時、岬の北方約30キロの夜空で非常に明るい飛行物体が急旋回したり、垂直下降するなど激しく動いているのを見た。
「どんなに優れたパイロットでもあれほどの激しいアクロバット飛行は不可能だし、動き方や速度の変化の仕方は、飛行機とは全く違っていた。セスナ機のパイロットが管制塔に伝えてきたのとそっくりの動き方だった」と2人は証言した。
空と海からの何日にもわたる捜索にもかかわらずフレデリックさんが乗るセスナ機の行方は分からなかった。17歳の時から飛行訓練を続け、航空学校の教官の資格も持っていた彼が遭遇の模様を8分間、しっかりした表現で連絡してきたこと、管制塔との交信の最後に長い金属音がキャッチされたことなどから、専門家たちの間でも何らかの飛行物体が接近したことは間違いないとの見方が多かった。フレデリックさんは間もなく結婚する予定だった。
この事件から1年経過したころ、ある新聞に「フレデリックさんは生きている。婚約者の女性に近いうちに帰還するとの連絡があった」との記事が出た。が、29年経つ今日までその消息は分からない。
バス海峡でのUFOは既に19世紀から現れている。メルボルンの新聞ジ・アーガスは1896年にバス海峡の上空を「葉巻たばこの形」をした物体が飛んだことを伝えている。
検証したいアボリジニの伝承
エアーズ・ロックがUFOと何らかの関係があるのかどうか、私には分からない。アボリジニの人たちは文字の文化を持たなかったので、文字で書かれたUFOとの遭遇記録はない。しかし、エアーズ・ロックをはじめ北部準州の各地の岩場や洞穴に残された彼らの古い岩絵を見ると、私は不思議な思いに襲われる。そこには「ヒト」らしき絵も多くあるのだが、その「ヒト」には目と鼻があるのに口がない。また、ある絵ではその「ヒト」らしきグループが手を広げ、下半分は胴体や足ではなく、多数の凧の糸のようなものを付け、空を飛んでいるかのように描かれている。これは何を意味するのだろうか。彼らの祖先はUFOやほかの惑星から飛来した宇宙人と遭遇した経験があるのだろうか。
彼らの伝承を読むと、天空を自由に飛びまわったり、極小の微粒子になって岩や石や礫の中にすら入り込み、有機物、生物とはもとより、無機物、無生物とも会話を交わしたり、遠くまで狩りにいった夫の病気やケガを妻が感知して、土地勘の全くない場所を何日も歩いて夫の所までたどり着いて救出したり、と現代の科学や合理主義では割り切れない話がいっぱい出てくる。
日本テレビのUFO特集番組は、アメリカ、メキシコ、エクアドルなどに現れた数多くのUFOの事例と専門家へのインタビューを紹介しながらも「UFOが実在するかどうかは確かな結論を得られない」と結んでいた。オーストラリアでも1930年に空軍がVIC州でのUFO目撃情報を公式に調査して以来、70年以上にわたって捜索や調査を続けてきたといわれる。しかし、UFOの実在の有無、また、実在する場合、どこから何の目的で飛来したのか、などについて公式の発表が行われた記録はない。
世界の最先端の科学と技術を総動員してもUFOのナゾが解けないのであれば、その解明に向けてこれまでとは全く違ったアプローチがあってもいいのではないか。例えばアボリジニの人たちが5万年にわたって守ってきた、ドリームタイムの時代からの伝承や岩絵などを分析、検証し、その深い知恵に依拠して見たらどうだろう。
オーストラリアはこれからUFOが現れやすい夏を迎える。私は自分自身の体験から、オーストラリアに住んでいる日本人もUFOを目撃する確率は結構高いのではないか、と考えている。