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書家れんのつきいち年中行事
第15回 天神祭
ご機嫌いかがですか、れんです。
「寒い寒い」と言挙げすると余計に寒い気がしてくるのは分かっているのですが、どうしても朝晩にそれが口からこぼれてしまうくらいの冬真っ盛りとなりました。それに比例してか、最近のテレビ・新聞などの報道によると、オーストラリア国内でいわゆる新型インフルエンザが大流行しているようです。寒くなって風邪を引きやすくなっているところですので、うがいと手洗いを習慣づけて、くれぐれもご注意ください。
さて、日本の三大祭といえば皆様ご存知の通り、東京の神田祭、京都の祇園祭、そして大阪の天神祭ですね。
天神祭は天神様を祭神とする全国の天満宮や天神社で開催されるお祭りですが、大阪天満宮のものが一番有名で、千年以上の歴史を誇っています。
6月の後半の神事始でスタートし、それからひと月ほど準備の行事が続いて、7月24日が「宵宮(よいのみや)」、そして25日がメインの「本宮(ほんみや)」です。
本宮では天満宮から御堂筋のおよそ4キロの道のりで、催し太鼓や、花傘、山車、神輿など3,000人あまりの行列が練り歩く「陸渡御(おかとぎょ)」が行われます。そしてその後、舞台を大川に移し、天神様の御神霊の乗る奉安船(ほうあんせん)である御鳳輦船(ごほうれんせん)のほか、催太鼓船や地車囃子船、御迎人形船、落語船などのさまざまな趣向を備えた100隻もの船が華々しく賑やかに水上を行き交う「船渡御(ふなとぎょ)」へと続き、数千発もの花火で祭りの最高潮を迎えます。
ところでこの祭神の天神様というのは、学問の神様として有名な菅原道真公で、平安時代の人です。遣唐使の廃止の年を「白紙(894)に戻す遣唐使」と覚えている人は多いと思いますが、その遣唐使を停止させたのがこの人です。この時をもって日本は唐文化と決別し、国風文化と呼ばれる独自の文化形成の道を歩むようになります。
道真公は宇多天皇の信任を得、当時上級官職を独占していた藤原氏の対抗馬として出世の道を歩みます。そして宇多天皇の子、醍醐天皇の時に右大臣に昇格。しかし危機を感じた藤原氏の謀略で失脚し、九州の大宰府に流されます。道真公は無実を訴え続けますが、認められずにその地で他界してしまいます。
ところが話はここで終わりません。道真公の死後、謀略の中心人物とされる左大臣、藤原時平が逝去。また、道真の左遷を決めた醍醐天皇の皇子で時平の甥の保明親王が、そしてその子で時平の外孫にあたる慶頼王が相次いでこの世を去ります。さらに建議中に清涼殿に落雷があり、謀略に加担したとされる藤原清貫など要人にたくさんの死傷者が出たのです。これを当時の人々は道真公の怨霊の仕業とみて恐れました。
それゆえ天皇も無実を認めて道真公に位を追贈して太政大臣にまで昇進させ、京都に北野天満宮を建立して「天神」として祀ったのです。わが国はそれこそ神話の時代から怨霊信仰があり、怨霊鎮魂のために国家政治が左右されてきました。この時の道真公の件も例外ではありませんでした。
では作品をご覧ください。行書にしましたが、字粒をそろえ、各々の点画を強くしっかり引いて、また文字同士を絡めるように字間を操作することで、限られた空間の中で文字が大きく見えるように書きました。「天」の重心がやや左にあるのを、「神」の最終画で右に戻してバランスをとり、「祭」の「小」の縦画で再度左にほんの少し戻して全体を締めています。
来年の年賀状書きまであと半年弱あります。そろそろ筆を持って準備を始めるといいかもしれませんよ。
著者プロフィル
れん(書家)。アーティストとして永住権を取得。シドニー市内「東」「東2号店」「四季」「だるま」「霞」の各レストラン、「Yuga Floral Gallery」に作品を常設。Government Houseでの企画展参加をはじめ、日豪両国で個展・グループ展を多数開催。NSW州立美術館やChannel 7、大使館の依頼によるキャンベラ「燈籠祭り」での大書パフォーマンスも。「書団れん倶楽部」主宰。書道教室運営。
Email: renclub@gmail.com動画Web: uk.youtube.com/user/renclub

















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