書家れんのつきいち年中行事
- 第1回 端午の節句 [2008/5/12]
書家れんのつきいち年中行事
第1回
端午の節句
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著者プロフィル
れん(書家)。アーティストとして永住権を取得。シドニー市内「東」「四季」「だるま」「霞」の各レストラン、「Yuga Floral Gallery」に作品を常設。Government Houseでの企画展参加をはじめ、日豪両国で個展・グループ展を多数開催。NSW州立美術館やChannel 10での大書パフォーマンスの経験も。「書団れん倶楽部」主宰。書道教室運営。 renclub@digisurf.net.au
書家の「れん」と申します。今月から、伝統的な日本の年中行事をその月々にご紹介していきます。よろしくお付き合いください。
5月。シドニーの街は木々が紅黄葉してもうすっかり秋の装いですが、日本では新緑鮮やかな季節。ゴールデン・ウィーク(GW)の到来も手伝って気持ちの踊る時期ですね。
さて、そのGW最中の5月5日は「こどもの日」です。別名を「端午(タンゴ)の節句」と言い、男子の健やかな成長を祝い、祈ります。
その由来についてですが、そこに行き着くまでにまさに紆余曲折の歴史がありました。
「端」には物のはし、つまりスタートの意味があります。それで最初は各月の初めの「午」の日のことを表していました。それが「午」と「五」とが同音なので毎月5日のことを指すようになり、中でも数字が重なる5月5日を「端午の節句」と呼ぶようになったのです。
これがいかに男子と結びつくかについては、中国の話をしなくてはいけません。
中国ではこの日を、邪気を払って健康を祈願する日とし、蓬(ヨモギ)人形を飾ったり、菖蒲(ショウブ)酒を飲んだりしていました。蓬や菖蒲は邪気を払う作用があると考えられていたそうです。
そしてそれは、日本に入ってきた時に「五月忌み(サツキイミ)」という風習に結び付きます。五月忌みでは、田植えの前に女性だけが家に閉じこもってけがれをはらい、身を清めます。しかしこれではこの日は女性の特別な日でこそあれ、まだ男子とは無関係です。
その大逆転は、武士階級が台頭した鎌倉時代に起こります。
平安時代後期から力をつけた新興の武家勢力は、ついに平家による政治権力の掌握にまで至り、それを鎌倉幕府が引継ぎました。その彼らの需要を見事に満たしたのがこの日の必須アイテムである「菖蒲」だったのです。
菖蒲の葉は、その形が武士の命である剣の形と似ています。その上、武道や武勇を重んじるという意の「尚武」とも同音。彼らにとってはまさに「我が意を得たり」だったのでしょう。それで鎌倉以降、端午は男の子の節句として定着したというわけです。
ちなみに鎧(ヨロイ)、兜(カブト)、刀、武者人形などは男子の身体を守るという意味合いを込めて飾り、鯉のぼりを立てるのは「後漢書」にある故事「鯉の滝登り」からとって、男子の立身出世を祈願するためです。また、柏餅(カシワモチ)を食べる風習は日本独自のもので、柏は新芽が出るまで古い葉が落ちないことから「家系が絶えない」縁起物として広まりました。
ではここで少し「書」についての解説を。
今回紹介している作品の文字のスタイルは行書(ギョウショ)と言います。行書は文字の中の画と画が連綿線で繋がっていたり、また繋がろうとしていたり(「行意がある」と言います)するものです。1文字目「端」の2画目から先、5画目から6画目に飛ぶところまでの連綿などがご覧いただけると思います。
行書における連綿にはきちんとしたルールがあります。自分で好き勝手に繋げていいわけではなく、大切になってくるのが字の書き順です。書き順が違っていればきちんとした行書は書けません。間違った続け字を書く人を時おり見受けますが、重要なのは書き順。最初は自分の名前の漢字だけでもきちんとした書き順を覚え、格好の良い行書で書きたいところですね。
2文字目「午」の最終画は鯉の勢いをイメージしてみました。滝をグングン登っていくような強い男の子がどんどん育ってほしいですね。そして、日本がより良い国になりますように。
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