書家れんのつきいち年中行事
- 第3回 七夕 [2008/7/04]
書家れんのつきいち年中行事
第3回 七夕 © All rights reserved to RENCLUB
著者プロフィル
れん(書家)。アーティストとして永住権を取得。シドニー市内「東」「四季」「だるま」「霞」の各レストラン、「Yuga Floral Gallery」に作品を常設。Government Houseでの企画展参加をはじめ、日豪両国で個展・グループ展を多数開催。NSW州立美術館やChannel 10での大書パフォーマンスの経験も。「書団れん倶楽部」主宰。書道教室運営。renclub@digisurf.net.au
ご機嫌いかがですか、れんです。 朝晩の冷え込みも厳しく、すっかり冬に突入したシドニーですが、あるアパートの庭で、仄かに赤紫色をした木蓮が枝にたくさんの花をつけているのを見ました。
ご存知の通り、木蓮はその花を天に向かって直立したまま開かせます。枝一杯に並び立つ彼らのその凛とした姿はある種の神聖な緊張感を周囲に放っていて、見る度にいつも自然と背筋の伸びる思いをします。
本来は春の暖かい時期に咲くのですが、こんな真冬に彼らに出会うと、より一層「頑張ろう」という気持ちを強くさせられますね。
さて、7月の節句と言えば七夕です。
中国から伝わった七夕は「乞巧奠(きこうでん)」とも言われ、機織(はたおり)名人の織女(しょくじょ)にあやかって女性たちが裁縫の上達を祈願する日でした。
しかし、昔も今もこの日のメインは年に1度の牽牛(けんぎゅう)・織女のロマンスです。天の川を隔てて輝く鷲座のアルタイル(牽牛座)と琴座のべガ(織女座)を主人公とするこの伝説には諸説ありますが、ここでは七夕祭りで有名な仙台市の「仙台七夕祭り」が公式に発表しているお話を要約してみます。
昔、中国の漢水近くに王を父に持つ織女という機織の上手な美女がいて、父王のお眼鏡に適った農耕に熱心な牽牛という青年を婿にとります。しかし、織女は甘い結婚生活にうつつを抜かして機織を怠けだすのです。それを見かねた父王は、牽牛を漢水の対岸に追放してしまいます。しかし、その後毎日泣き続ける織女を不憫に思った父王は、年に1度、旧暦7月7日の夕方にだけ2人が逢うことを許しましたとさ。
この物語は日本人の心の琴線に触れるのでしょう。奈良時代に編纂された日本最古の勅撰和歌集・万葉集にも既に2人が登場します。
「牽牛(ひこぼし)の 妻迎へ船こぎ出(づ)らし 天の河原に霜の立てるは(八巻1527)」
これは同集を代表する歌人・山上憶良の作ですが、このほかにも七夕の歌は幾種も詠まれていて、人々の関心の深さを伺うことができます。
では作品の方を見ていただきましょう。一気に書き上げたこの作、書体としては行書体の進んだ感じ、草書体に入れてもよいのですが、明確な境目もないので行草体としておきましょう。
文章は、当たり前のことですが、たくさんの文字の羅列によって形成されています。普通、篆書体や隷書体、楷書体を使う時は全体を通して同一の書体が用いられます。これらは大概の文字の形が方形の中に納まるよう動きを制限されていますので、文字の大きさを揃えて書けば、全体を美しく表現できます。
一方、行書体と草書体はよくミックスして使われます。どちらも基本形こそありますが、それを軸として動きを出すことが可能ですし、またほかの書体と違って文字を連綿させてひと続きにできます。そういう共通した要素が両者の混在に違和感を抱かせないのです。行書体は行書体、草書体は草書体で分けて書くことももちろん可能ですが、書体が違うことの認識さえあれば、適材適所で使いこなすのが自然です。
今からちょうど千年前を生きた平安時代中期の女流エッセイスト、清少納言をご存知でしょう。彼女はその著『枕草子』にこう記しています。
「七月七日は、曇り暮して、夕方は晴れたる空に、月いと明く、星の数も見えたる。(第七段「正月一日、三月三日は」)」
夜になって曇り空が晴れたことがとても嬉しそうです。きっと紫式部や藤原道長・頼道親子たちも彼女と同じ空を見て喜んだのでしょうね。
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