書家れんのつきいち年中行事
- 第5回 重陽の節句 [2008/9/08]
|
| © All rights reserved to RENCLUB |
第5回 重陽の節句
© All rights reserved to RENCLUB
著者プロフィル
れん(書家)。アーティストとして永住権を取得。シドニー市内「東」「四季」「だるま」「霞」の各レストラン、「Yuga Floral Gallery」に作品を常設。Government Houseでの企画展参加をはじめ、日豪両国で個展・グループ展を多数開催。NSW州立美術館やChannel 10での大書パフォーマンスの経験も。「書団れん倶楽部」主宰。書道教室運営。renclub@digisurf.net.au
ご機嫌いかがですか、れんです。
9月9日は五節句の1つ、重陽(ちょうよう)の節句(菊の節句、栗の節句)で、ほかの節句同様これも起源は古来中国にあります。
彼の国では奇数は縁起のよい「陽」の数とされておりまして、9月9日はその一番大きな数である「9」が重なっていることから「重陽」と呼ばれました。
陽の極が2つ重なることでとてもめでたい日とされ、この日は邪気を払って長寿を願うために菊の香りを移した菊酒を飲んだそうです。なぜ菊かと言えば、菊の花は中国では「翁草(おきなくさ)」「千代見草(ちよみくさ)」「齢草(よわいくさ)」と言われ、不老長寿の薬としての信仰があったのです。観賞用としてより先に薬用として栽培され、漢方でもたくさんの菊の花が薬効を認められています。
日本では奈良時代から宮中や寺院で菊を観賞する宴が行われ、平安時代には「重陽の節会(ちょうようのせちえ)」として宮中行事になりました。
長寿薬である菊の効用にあやかるために、天皇以下貴族たちが紫宸殿に集まり、詩を詠んだり菊酒を飲んだりして穢れを祓います。また宮中では「菊の被綿(きせわた)」という、今からすると非常に趣深さを感じる風習もありました。これは枕草子や紫式部日記の中にも記載がありますが、8日の夜にまだ蕾(つぼみ)の菊の花に綿をかぶせて菊の香りと夜露を染み込ませ、それで身体を拭うことによって長寿を願ったのです。
また、旧暦の9月9日は現在では10月。ちょうど収穫が行われるころでしたので、民間では「栗の節句」と呼ばれて栗ご飯などで祝いました。重陽の節句は時期的にすべての作物の収穫終了後の祭りということから「収穫祭」としての意味合いが強く受け継がれました。それが土着したのが有名な「長崎くんち」や「唐津くんち」(「くんち」とは「9日」のこと)といった祭りで、元々は旧暦の9月9日に行われていたものです。
現在でも、例えば京都の上賀茂神社のように烏相撲(からすすもう)や菊の被綿を行って重陽の節会を祝っているところもありますが、残念ながら全国的には盛んだった昔の面影は消えてしまいました。菊のコンクールや観賞会も新暦への移行で菊の時期を外れたためか、開催されてはいるものの9月9日とは限らないようです。
では作品に移ります。今回は重みのある行書で書きました。重心を低めに置き、紙に食い込ませながらゆっくりと線を引いて、しっかりとした隙のない作品にしました。全体としては右上がりの作品ながら、要所で右下がりの線を抑えに使ってバランスをとっています。
行書と言うと続け字で軽快なイメージを持たれがちですが、運筆のスピードと加圧のやり方如何でどのようにもコントロールすることができます。ただゆっくりと線を引く場合に、線がぐらつかないように書くにはしばらく練習が必要かもしれません。
とにかく実際に筆を持って練習(=体験)を重ねていけば、自由自在にイメージを操ることができる域に達することも不可能ではありませんよ。
江戸時代「菊の節句」は武家の祝日だったそうですし、菊はそのデザインが皇室の紋章ともされています。薬用であったり、食用であったり、観賞用であったり、日本人にとって菊は身近でとても大切な花だったのでしょう。重陽の節句にはぜひとも菊の花を部屋に飾ってみましょうよ。
|
その他の注目記事: |



























































































