日本経済新聞社シドニー支局:高佐 知宏
豪南東部の水資源活用河川管理を連邦に移管
環境問題や貿易拡大で失われる各州の「独立」
オーストラリアのハワード首相がマレー・ダーリング川流域の管理権限の各州政府から連邦政府への移管を打ち出した。2006年の深刻な干ばつ被害を踏まえ、豪州最大の河川流域の一括管理を通じて水資源を効率活用するという首相の構想には各州とも正面切った反対はしにくく大筋での合意に至った。豪州独立に際して各州が連邦を設立してから1世紀。川の流れは干上がっても各州から連邦への権限委譲の流れはとどまりそうにない。
1月25日、首相は内陸部の水資源確保へ4州に今後10年間に総額約100億ドルを投じる政策を発表した。目玉はニュー・サウス・ウェールズ、サウス・オーストラリア、クイーンズランド、ビクトリア各州にまたがり流域面積が100万平方キロメートルに及ぶマレー・ダーリング川流域の管理権限の連邦政府への移管だ。連邦政府に干ばつ被害が集中した豪東南部の農畜産地域の「水がめ」の管理権限が移れば灌漑(かんがい)設備を更新することで「農家が必要なだけ水を供給できるようになる」と訴えた。
赤字予算に苦しみ3月に総選挙を控えるNSW州のイエマ首相は真っ先にハワード首相の構想に同意を示したが、既に選挙で勝利を収めたSA州のラン首相やQLD州のビーティー首相は連邦に対し駆け引きを持ち出すに十分な政治的立場にあった。ハワード首相は連邦政府内でも十分な根回しを怠ったとの見方もあり、早期の合意は難しいというのが大方の見方だった。
ところが、2月23日にキャンベラで開かれた会合後の記者会見では、各州首相とともに和やかな表情で席についた首相は開口一番、「とてもいい会合だった」と切り出した。前評判を覆し各州から連邦への権限委譲に大筋での合意を取り付けていた。唯一、首を縦に振らなかったものの構想自体に意は唱えなかったVIC州のブラックス首相は、流域管理は「憲法上の権限」と語った。
豪州憲法は連邦議会が立法できる範囲について、他国や各州間の通商や軍事、郵便や電信電話など40項目を列挙する。アメリカ合衆国憲法が掲げる連邦議会の権限は18項目、日本国憲法では都道府県も市町村も「地方公共団体」と一括りにされ、「法律の範囲内で条例を制定することができる」(第94条)とされるだけ。豪州の各州が独立に際し自らの掌中にできるだけ多くの権限を残そうとした思いを見て取れる。
憲法も米国は「われら合衆国の人民」が制定し、日本も「国民」が確定したと明記する。これに対し、英国のビクトリア女王と英国議会が英国の法律として制定した豪州憲法は「ニュー・サウス・ウェールズ、ビクトリア、サウス・オーストラリア、クイーンズランドおよびタスマニアの人民」が「1つの永続的な連邦国家の下に団結することに合意した」ことによって豪州が成立した、と謳っている。ここにはウエスタン・オーストラリア州は出てこない。豪州独立当時の各州の鼻息の荒さが感じとれる。
縮少する各州の影響力
だが、独立から1世紀で地球は縮んだ。20世紀の前半に起きた2度の世界大戦では、戦時体制への対応を通じて連邦政府が権限を拡大。後半は戦争に代わり経済のグローバル化が地球をさらに小さくした。06年7月、コステロ財務相は「連邦政府は豪州経済に対する全責任を負うべきであり、国益にも合致する」と語り、憲法改正により連邦政府の権限を強化すべきとの考えを示した。財務相は港湾整備に言及し、貿易の拡大には港湾の統括的な整備、拡張が不可欠だと訴えた。
憲法は連邦の権限として他国との通商政策を真っ先に掲げるが、港湾に関しては灯台や航路標識の管理を挙げているに過ぎない。財務相の発言委は各州が一斉に反発。ハワード首相も改憲する考えはないことを表明し収束を見た。
独立した「州」が一定の権限を移管、集約して共通の利害に対処する組織を形成した、という点では、欧州連合(EU)と相通ずるものがある。1993年11月に発効したマーストリヒト条約に加盟した各国は、国家主権の一部を欧州理事会、欧州議会、欧州委員会、欧州司法裁判所などから構成されるEUに移管した。もともとは独仏伊とベネルクス3国の6カ国による石炭、鉄鋼、原子力の産業3分野ついての共同体が、07年1月には27カ国に拡大。域内人口は4億8,900万人に達した。
欧州経済共同体(EEC)が欧州共同体(EC)を経てEUとなるに従い、その活動範囲も産業・経済から社会、環境、教育、文化へと広がった。単一通貨ユーロの導入と欧州中央銀行の設立によりユーロ導入国は通貨主権を手放したが、それ以外ではどの分野どの権限を誰が行使するのか。
ここで「補完性の原則(the principle of subsidiarity)」という概念が生み出された。EUの基本法であるニース条約は構成国では十分に目的が達成できず、規模や効果からEUの方がよりよい成果が得られる場合は、「補完性の原則に従って」EUが行動すると規定する。同条約はEUの活動範囲も列挙しているが、補完性の原則を掲げることで教条主義に陥ることなく柔軟な対応ができる余地を残した。
豪州は日本の20倍、拡大EUと比べても1.8倍の国土がある。面積では米国の8割だが、全米50州に対し豪州は各州と特別地域を合わせても8つ。豪各州がEU加盟国に準じる権限を持つだけの「領土」はある。ただ、日本の6分の1、米国の15分の1、EUのわずか25分の1の人口が生み出す国内総生産は日米欧とは比ぶべくもなく、東京都と肩を並べる程度に過ぎない。
世界的な資源・エネルギー需要増による人材不足は、豪東部から西部への「通勤」を生み出した。情報は一瞬にして全豪に伝わる。ヒト、モノ、カネの動きが活発になればなるほど、豪州は狭くなり、各州の影響力も小さくなっていく。ましてや自然は州境には左右されない。
2月中旬の世論調査の支持率でハワード首相に10ポイントという史上最大の大差をつけて逆転した最大野党労働党のラッド党首は、政権奪取後の主要政策の1つに教育を掲げている。教育は医療、交通などと並ぶ各州の管掌分野だ。総選挙では地球温暖化対策も争点となりそうだが、鉱山などの開発許認可やごみ処理業務は州の役割だ。
豪州では99年に共和制移行が否決されるまでに44件の憲法改正が提案され、8件が成立している。1977年の連邦裁判官の70歳定年などの導入が最も直近の改正事項だ。11月の総選挙での争点とその結果によっては、共和制への移行ではなく各州が一回り小さくなる方向での30年ぶりの憲法改正議論が持ち上がるかもしれない。