
第11回
阪本哲也さん
「NOBU MELBOURNE」寿司職人
ノブで働く寿司職人は
「仕事に忠実、人生は行き当りばったり!?」
海外では、世界一の日本食レストランと賞される『NOBU』。メルボルン市内にあるクラウン・カジノに全世界で19軒目の『NOBU』がオープンしたというニュースは、まだ耳に新しいところだ。ほかの系列店同様、このメルボルン店にもイアン・ソープやニコール・キッドマンなどのセレブたちが毎日のようにやって来るという。そんな華々しい店でひと際目を引くのが、同店の表看板とも言うべき大きな寿司カウンター。常時5人の職人が立ち働くこのカウンターで寿司を握っているのが、今回の「ワーホリ・サクセス・ストーリー」の主人公、阪本哲也さんだ。
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■阪本哲也(さかもとてつや)さんプロフィル
1972年生まれ。埼玉県出身。高校卒業後、専門学校で調理師免許を取得し、以来東京、埼玉で板前として働く。95年ワーキング・ホリデー・ビザで来豪。WA州パースで料理人として働き始めると同時に永住権申請、取得。同レストラン「TSUNAMI」で12年間シェフを務めた後、07年8月から現職。 |
■30万円持ってオーストラリアへ
今年で35歳。「世界のノブ」で寿司を握っているからと言って、傲慢さや気負いは全くない。むしろ自分のことを「先のことは考えず、計画性がない」と笑う、屈託のなさが魅力だ。ワーキング・ホリデー・メーカーとして豪州での生活を始めてから今年で12年になる。
高校を卒業して、1年間専門学校に通い調理師免許を取った。特に「料理人になりたい」という夢があった訳ではなく「作るのが嫌いではなかったから」。免許取得後、東京の結婚式場で板前として働いた。その時の同僚から、ワーキング・ホリデーで海外に行きオートバイでラウンドしたという話を聞いて興味を持った。スキーが好きだったのでカナダに行きたかったが、その年の受け付けは既に終わっていたため、オーストラリアに変更。この辺のこだわりのなさが、阪本さんらしい。
当時、オーストラリアのワーホリ申請は今よりずっと簡単で、大使館に行くとビザはその場で下りた。「オーストラリアのことは、ほとんど知りませんでした。予備知識は全くなし。ただ、日本でもよくバイクで旅をしていたので、そんなことをしながら1年過ごしたいと思っていました」。
仕事を辞め、オーストラリアで唯一聞いたことのある都市シドニーへと向かった。
シドニーで1カ月を過ごすうちにダイビングがやりたくなり、ぱらぱらとめくった日本語情報誌にWA州パースのことが載っていた。一路パースへ。ところがダイビングを始めたら、持参金の30万円が底をついてしまった。
95年は、今と違って1ドル59円ほどの時代、30万もあれば1年過ごせるのではと、たかをくくって出てきた。「もちろん、そんなにもつはずもない(笑)。実は仕事を辞めてから出発までの3週間に友達と飲みまくって、持ってくるはずだった貯金をずいぶん使ってしまったのが悪かった。本当に計画性がないんです」と笑う。
■腐れ縁で12年
金がなくなった。さあ働かなければ。
この状況で強かったのは、手に職があったことだ。ダイビングで知り合った人に、テイクアウェイ・ショップでの調理の仕事を紹介してもらった。そしてこの店で、大きな出会いがあった。オーナーのブレッドさんだ。
食べることが大好きで、日本に住んでいた経験を持つオーストラリア人。自分でレストランを持ちたいという野心を持っていたブレッドさんと出会ったことで、当然のように生活が一気に仕事一色になった。
ワーホリ期間が終了する前に、ブレッドさんがスポンサーとなって永住ビザを取得。その後12年間、2人でパースの飲食業界で苦楽をともにした。
まず50席くらいの小さなレストランをオープン。それが成功して、次にブレッドさんは『TSUNAMI』という120席の大きな店を買い取った。焼き鳥や揚げ出し豆腐など、いわゆる定番の日本食はやらない、フュージョン・レストランを目指した。阪本さんはこの店で、2000年から今年8月にメルボルンに来るまでメイン・シェフとして活躍した。
「ブレッドとは気が合ったというより、ほんとに腐れ縁です。最初のレストランを始めた当時は、言い合いばっかりしていましたしね。僕は作りたいものを作りたい。彼は売れるものを作りたい。ただ、パースで一番のアジアン・クイジーン・レストランになるまでは、と一緒にがんばりました」。結果、『TSUNAMI』は阪本さんが辞めた直後に、地元新聞「ウエスト・オーストラリアン」紙が主催する「ゴールド・プレート・アウォード」を受賞した。今や同レストランはパースで広く知られる有名レストランだ。
そして、テイクアウェイ・ショップから始まった阪本さんの「腐れ縁」がもう1つある。奥様の真由美さんとの出会いだ。ホール・スタッフ、後にはホール・マネジャーとして、12年間をともに過ごしてきた。
■世界一のノブで教わりたい
『TSUNAMI』で忙しく働いていた昨年のある日のこと。「メルボルンにあの『ノブ・レストラン』がオープンするらしい」という噂を聞きつけた。ノブと言えば、海外で世界一と言われる日本食レストランだ。ぜひ仕事をしてみたい、と思った。
「それまで、ブレッドと仕事をしてきて、自分流のやり方を築いてきたし、レストラン経営については勉強になりました。ただ、料理の面で学ぶことはなかった。ここでまた新しく何かを“教わる”のもいいことじゃないかと思ったんです」。今年に入り、詳細が分かるとすぐに応募。7月のメルボルンでの仮トレーニングを経て、採用が決まった。
そして今年8月7日、12年間のキャリアをすべて背にして、メルボルンで新しい生活を始めた。「ここに来て2日後にはカウンターに立ちました。もちろん緊張しましたよ。やることなすことすべて失敗だったと言っていいかもしれません。でもほかの職人さんたちに助けられました」。『NOBU』は独自のスタイルにこだわることでもよく知られる。寿司ネタは築地から最上のものを輸入、10人の寿司職人はみな日本人だ。ともに働く職人の中には、日本で長年修行を積んだ人もいる。「とても勉強になります。しばらくここでがんばろうと思います」。
仕事では常に上を目指す。でも人生には行きあたりばったりだったりする。阪本さんは昔ながらの『職人』という言葉が、よく似合う人だ。

『NOBU』の寿司カウンターの様子。阪本さんは週に3、4日ここに立つ