極楽とんぼの雑記帳
- このごろ思うこと [2008/2/07]
極楽とんぼの雑記帳175
このごろ思うこと
ブレア照子
イラスト・タイトルデザイン:森本順子
筆者プロフィル/ブレア照子(Teruko Blair)。1925年生まれ、広島市出身。旧制女学校卒。45年、広島市内の自宅で被爆。第2次世界大戦終戦の数年後に知り合った豪軍人ウィリアム・ブレアと結婚し、53年に来豪。82年に死別した夫との間に3人の子供がある。現在キャンベラ在住。著書に、本紙に連載していたエッセイをまとめた「オーストラリアに抱かれて」、現在も本紙連載中の「英語とんちんかん記」(ともにテレビ朝日出版)がある。本連載のイラストを手掛けるシドニー在住の絵本作家・森本順子は実妹に当たる。
毎年私は、NSW州北沿岸に住む二女一家を訪れている。1,100キロを超える遠距離、この習慣が今後いつまで続けられるやら…。
1953年にオーストラリアに来て初の里帰りは68年。その後は75年と78年。82年に夫が身罷り*、翌年から2年おき、89年以降は毎年訪日するようになった。予期しなかったことで1年のうちに3度訪日したこともある。
私が日本を出たのは1944年、旧満州国が初めてで、帰国したのは終戦1カ月前。1953年、こちらに永住。70年から72年、夫の赴任地であるシンガポールに在任中、マレーシア国内を数度訪れた。後年、日系国際結婚親睦会世界大会で、ハワイへ2度、ロサンゼルスへ1度行った。ロスといってもラスベガスを合わせ、1週間そこそこだったから駆け足同然だ。ヨーロッパには1度も行っていない。つい足が日本へ向いてしまい、後回し後回しで今日に至っている。「なぜ日本ばかり?」と長男の妻に不思議がられた時、「あなたも外国に永住したら、真っ先に思うのは故郷のオーストラリアと肉親では?」と答えている。大人気ない答えに聞こえただろうが…。
*編集部注*他界する

この年齢になり、ヨーロッパは遠過ぎると悟り、遅すぎたなあと残念に思う。長年中国へ行きたいと希望しながら未だ果たしていない。その間に中国は急速に変貌を続けている。早く実行に移さなければ、と子どもたちは言う。去年、妹と訪中を考えたが、妹の体調不良のため、見送った。滞日中に私は肺ガンの疑いありと告げられたから、訪中は無理な相談だったことになろう。幸い検査の結果は「白」だった。
今年半ばに83歳になる私、遠距離の強行軍は危険を伴う可能性が高かろうと、ほんの最近まで思ってもみなかった長旅−それも1人旅−への危惧である。目下のところ足腰や、体のどこかに故障があるわけではないが…あるとすればアタマだろう。とにかく、どこに伏兵が潜んでいても不思議ではない年齢だ。長旅について危惧を考えるようになったのはやはり「83歳」という響きからくる常識的な感覚からだろう。空港への往復が簡単、荷物も軽いリュックだけの旅だったらどんなに楽なことか。
海外旅行にキャンベラは非常に都合悪くできている。国際線がないだけではない。二女のところから最寄りの空港はクーランガッタ(車で40分くらい)だが、直行便はなく、シドニーで乗り替え。乗り継ぎの便も良いとは言えぬ。ここからの直行便はブリスベン行きだ。二女のところから車で2時間ほどかかる。
訪日の時はもっと面倒だ。福岡行きがなくなり、去年は成田で1泊して、翌朝、東京から新幹線で山形県、米沢市、長井市。そして、仙台空港から福岡へ飛んだ。セキのゴホン松で心身両面、ひどく低調だった私だが、帰途は東京駅で二女夫婦と落ち合い、成田エクスプレスに乗ることができて助かった。東京から成田エクスプレスに乗ったのは初めて。1人だったらきっとまごついたことだろう。小型のスーツ・ケースは宅急便で空港へ送ってあるけれど、ほかにも小型にしろリュックとショルダー・バッグがある。空港までとフライト、到着した空港から目的地まで…誠に面倒だ。
83歳になろうとする老人が、今年もまたリュックを背負ってウロチョロするのか…と思うと些かしんどい。だが、私より何歳も若いのに旅行は不可能という人たちもいることを考えると、ぐずぐず文句を並べるのは罰当たりかも。繰言を並べる前に感謝するべきだ、と思い直すことにしよう。
年齢とともに体力、頭脳の働き、運動神経、容姿などが衰えるのは自然の過程であり、回避できないことは誰でも知っている。だがその進行に個人差があることも事実だ。進行速度が並外れて遅い人は、幸いなるかな。
虚弱体質、発育不全で身体の小さな私が、こんなに長生きできると誰が想像し得たであろうか。呉市に駐留していた英連邦軍通信隊の将校メッスで働いていたころ、台風が発生した翌朝に出勤すると、将校たちに「おお!呉にいたの? シベリアへ吹き飛ばされたかと我々は心配したんだよ」と言われた。
シベリアが沖縄になったり北海道になったりしたが、その度に私はむくれた。誰が見ても私の姿は細くて頼りなさそうだったのだろう。それが今年83歳を迎えるのだ。予想できないものである。
7歳下の妹は、3歳まで生きられないだろうと言われていた。その妹も、私ほど元気ではないにしても、まわりの予想を見事に裏切っている。弟は、複数のガンと闘ったあげく、73歳で身罷っている。5歳年長の姉もいろいろと問題はあったけれども、まずは息災。3姉妹のうち、どうやら私が一番タフらしい。「死ぬまで元気で居たいものだ」と誰しも願うことを、私も人並みに願っている。
願いはほかにもある。高齢者の10人が10人、認知症になるわけではないが、できるならご勘弁、お目こぼし願いたい症状の1つである。よく物忘れをする…程度ならまあいいとして、家族や親しい人の顔や名前さえ分からなくなったら、それは生きる屍だ。その上、苦しい病気に掛かったら万事休す。「安楽死」を法的に認めてほしいと私は切望する。
その人がその人でなくなり、治る見込みは皆無、あるのは苦痛、家族の苦しみや重荷、そして、周囲にかける迷惑…。生きている価値も意味もない。いただいた生命は全うせよと言うが、誰が決めたのか? 深い信仰のない私には「人間が決めた」としか思えない。全うするためには、尊厳喪失、苦痛の極限まで生きねばならぬとは、理不尽、無理無体だと私は思う。
余生を終えるまでの、私の欲張りな願いは、「健康で、瑞々しく弾力ある感性を保持した、爽やかな老人でありたい」。若く見られたくない女性はまれだと思うが、老いて頭髪は激減、皮膚が透けて見えるのにパーマと染髪の拷問、厚化粧がシワの深い溝にめり込んだ女性を見かけると、過去にしがみつく虚しさを感じ物哀しい。当人は若く見られていると信じ、満足しているのだろうか。凄惨なまでの老醜を曝したくない、とつくづく思うこのごろである。
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