極楽とんぼの雑記帳
- ある決断 [2008/6/27]
極楽とんぼの雑記帳179
ブレア照子
イラスト・タイトルデザイン:森本順子
ある決断
今年の1月、2度シドニーへ行ったことは既に述べた。今回は、シドニーを発った11日、直行便の急行バスの中で思いもかけなかったことが私に起こった。それを述べよう。
甥の運転でセントラル駅のバス・ターミナルまで送られ、車中の人となった。予約席は2A。発車間もなく私は、いつものごとく妹が持たせてくれるお握り弁当を食べた。この時点まで何の異常もなかったのだ。食べ終わってから、妹の書棚から抜き出してきた、司馬遼太郎著“真説 宮本武蔵”を開いて間もなく、ある異常に気が付いた。読めないのだ。活字を追ってもまとまった文章にならず同じ箇所に後戻りしたり、活字がてんでんばらばら、眼で捕らえることができない。それでも読みたいので相当努力したが徒労に終わった。キャンベラまでの時間が、随分長く感じられた。ようやく到着。ターミナルのすぐ横がタクシー乗場だが、そこまで行くのが怖かった。焦点が定まらず足元がひどくおぼつかなく躓きそうで心細い。こんなことは初めてだ。家に帰り、スーツケースを開けるのにもたつき、衣類のどれをハンガーにかけるのか、どれを洗濯機に ? と迷い、メモを見ながらビザカードの受取りや、財布の現金の整理をしようとしたが、「とてもじゃないが…」といった有様で、もう呆然。
昔、女学校で小遣い帳をつける校則があり、その習慣は小遣いと呼べる収入のなかった終戦直後の惨めな時代を除き、通算70年が来ようとする現在まで続いている。家庭を持ってからも、いわゆる“家計簿”としてではなく単純な“小遣い帳”の様式で記入した。何月何日、何々、全額といった形。銀行口座やビザカード口座から引き落とされる、電気代、電話料、水道代等々も。最もこのごろは、これも単純なcash bookを使用している。
だが、その夜は何度計算しても正しい数字が出ないので、叫びたいほど苛々した。眠れそうにないので睡眠剤を飲んだところ、副作用であろう異様な現象が起こった。私の周囲にあるいろいろな物に見張られている感じ。私のそばに誰かいる。家具が人間に見えたり、ひそひそと声が聞こえたり、本の表紙の女性が声をひそめてくすくす笑う。歩こうとすると膝ががくんと床に着く、(睡眠剤が効いてきたのだろうが)薄気味悪い。
明けて土・日、私の思考力がどこを彷徨っているのやら、ゾンビになったような、何とも形容し難い自分がそこにいた。減退した視力のせいか、新しい眼鏡に替えるべきか… ? 私は長年親しくしてもらっているT・M博士(長年キャンベラ国立大学で眼の研究に貢献)に電話をかけた。理由を訊かれたので数日来のことを告げると、すぐ病院の救急に行くようにと言われた。語調に切迫した響きがあった。
病院でらちが明かずにいた時、Tedさん(M博士)から私の携帯電話に「今すぐならE博士が予約なしで会ってくれるから直ぐにCanberra eye hospitalへ行く様に」と親切な指示が入った。早速そちらへ出向く。南コーストからキャンベラへ向かっているはずの長女の携帯に私の行先を告げておいた。E博士の診察を受ける前にいろいろな検査を受けた。E博士の、2度目の診察寸前に長女が到着。E博士の診断は、急な視力減退の原因が不明であること、白内障もあるが、それが原因でない、マイクロストロークが視力減退の原因かも、ということだった。
後で知ったが、そのころの私は、しっかり支えられていてもゆらゆらし、非常に危なっかしかったという。後日、CTスキャンの検査の時、「さあ、脳の検査です」と迎えの男性に言われ、「はい。でも私の脳はまだあるのでしょうか ? 」と聞くと、相手は「え ? 」という表情をした。終わってから彼いわく「ありました、ありましたよ、大きいのが」。これには笑ってしまった。結果は、ごく小さなストローク(脳血管障害)の痕があるということだった。ミニとはいえストロークはストローク、やはり面白くない。主治医から血液を薄くするカプセルと、ノーマルである私のコレステロールのレベルをさらに下げる薬(いずれも血の流れを良くし、今後のストロークを防ぐ)を処方され、再び長女の所へ。
数日後キャンベラへ帰ったが、その夜のこと、血圧が191に上がりひどく不安だったので救急車で病院へ運ばれたが、嫌な雰囲気の待合室で5時間待たされた。ぐらつく頭を支えることもできなかった。6時ごろ、担当の医者の診察を受けたが手当てらしい手当てはなく、長男の迎えで帰宅したのが午前7時。再び長女の家に連れ戻された。
数日後、長女の所から数分の地点にある有料のケア・ホステルを見に行った。個室は手狭だが硝子戸を開けると小さなベランダに出られ、続く庭の向こうに海が見え、海岸に出る歩道が見えた。3部屋見せてもらったが、自分の部屋から庭へ出られるのはこの部屋だけ。私は入居を決心した。「もうしばらく考えたら ? 」と長女。長男、二女も同意見と聞くが、私は決めた。長女の間近であるのがとても嬉しい。もう2度と1人の夜をキャンベラで過ごすのは御免である。私には3人の子どもがある。キャンベラ在住で週に1度会いに来る長男はよくキャンベラ不在になるし、近々ワシントンに赴任しそう(はっきりと教えてくれない)。長女は車で3時間ほどの南コースト、二女は1,100キロ程離れたNSW州の北海岸に住む。度々会える距離ではない。3人が私の決断を理解したのは、この“距離の壁”を思ったからだろう。
幸せにも私はキャンベラで複数の、かけひきなしに私に温かい素晴らしい友に恵まれた。私の急な決断に驚愕。「ほんとにそれでいいの ? もっと考えなくてもいいの ? 」と。有難いと思う。でも、みんなそれぞれの方針や在り方、事情がある。重荷になってはならないのだ。私にとってはおそらく最後の大きな岐路に立ったわけだ。23年間住み馴れたタウンハウスを売ることにした。財産らしい財産のない私にケア・ホステルに入居できる資産などあるわけがない。私の人生で最も長く住み、よい友に巡り会えたキャンベラを去る日が迫る…。
筆者プロフィル/ブレア照子(Teruko Blair)。1925年生まれ、広島市出身。旧制女学校卒。45年、広島市内の自宅で被爆。第2次世界大戦終戦の数年後に知り合った豪軍人ウィリアム・ブレアと結婚し、53年に来豪。82年に死別した夫との間に3人の子供がある。現在キャンベラ在住。著書に、本紙に連載していたエッセイをまとめた「オーストラリアに抱かれて」、現在も本紙連載中の「英語とんちんかん記」(ともにテレビ朝日出版)がある。本連載のイラストを手掛けるシドニー在住の絵本作家・森本順子は実妹に当たる。
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