極楽とんぼの雑記帳
- 入居第一夜 [2008/7/19]
極楽とんぼの雑記帳179
ブレア照子
イラスト・タイトルデザイン:森本順子
入居第一夜
長女ヘレンに迎えられ、昨日、妹、順子宅を10時過ぎにサウス・コーストのNaroomaへ向け出発。妹は、思ったより明るい表情で私を励まして見送ってくれ、私も彼女を励まし、彼女の心身の健康を切に祈って妹宅を後にした。4月16日、今日は長女の所から車で6〜7分くらいの海辺Dalmany(ダルメイニと聞こえる)の有料ホーム「Sir J」に入居する日だ。朝食にヘレンがパンケーキを焼いてくれた。生前、夫が休日の朝必ず焼いて私たちを喜ばせたものだ。私はいつも、カスター・シュガーを振りかけた上にレモンジュースを垂らし、撹拌していない生クリームを載せて食べた。今朝の食卓にはその用意がしてあった。食後、とりあえず当座必要な物をまとめる。衣類、電話、文具類や筆記用紙などを納める引き出し5段セット。注文してある机と椅子が届くのは5月中旬なので、それまで、ヘレンのカード・テーブルを使うことにした。テレビは今日配達されるはずだ。長年重宝した組み立て家具を持ち込むのは数日後だが、これらがこの狭い部屋にうまくおさまるかしらん…? ちょっと不安だ。
車を降りた途端、波の音が聞こえる。玄関から入ると、真白の髪の女性がいそいそと近づいて来て「ようこそ、ようこそ ! 私の名はEです。私とT子さんは貴女を2週間待っていました。ダイニング・ルームの席を一緒にと思って確保してありますよ」と興奮気味な口調(T子さんには1年余り前、日本人女性Mさんに紹介された)。「T子さんは私のベスト・フレンドです」と言い、近くにいた入居者たちに次々と私を紹介した。
ここの入居者は人の手を借りずに行動できるロー・ケア、強度の認知症とか寝たきりはハイ・ケア、別棟なので会うことはないらしい。
ディレクターSさんのオフィスで手続きをおえる。入居にあたりSさんには随分温かい配慮を受けた。
入居すると衣類にネーム・タグを付けるので、ランドリーの女性Lに渡す決まりがあるからヘレンが運んでくれた。私の名と住所、電話番号の入ったタグを熱で張り付けるらしい。
そうこうするうちに昼食の時間となった。ここの朝食は7時半、昼食12時半、夕食5時半(病院のようだ)、その間に朝のお茶10時半、午後のお茶3時半が入る。ヘレンは出直すと言って帰って行った。Eが私の肩を抱くようにして食堂へ導き、ここでT子さんと再会。彼女は私の左席、Eは真向かい、右の席は79歳というJ。温厚な印象を受けた。メニューはできたてのコンビーフにホワイトソース、茹でたせん切りキャベツ、人参、マッシュポテト、青野菜といった温野菜。温かいコンビーフは何年ぶりか…結構美味しい。
閉口したのは、右席のJがT子さんと私の出身国を訊ねたので、日本だと答えると、実に嬉しそうな顔になり「同じ国から ? では同じ言葉で話せますね ? それはいい ! 日本では近所でしたか ?」。「T子さんは東京で、私は広島」と答えると「ヒ、ロ、シ、マ…その名、覚えています」。「世界初の原爆が落ちた市です」。これには反応を示さず、「貴女の名は ? 」そして「綴りは ?」。綴りを教えると「おお、テルコ」とはっきり発音した。ここまでは、まあよかったが…数分も経たぬうちにまた同じ質問の繰返し。
それ以外の会話ではEの話に適当な相づちを打つし、常識もありそうだから重症の認知症ではあるまいが、「こりゃ大変な所に来てしまったゾ」という思いがよぎる。
部屋に、ネーム・タグを付け終えた衣類が返され、ダウンジャケットには明朝付けるからワードローブの一番端に吊るしておいてほしい」とLが言った。それらを片づけていて驚いた。黒い長袖の肌着はDamart、母の日にヘレンがくれたものだが、背中の裾に貼り付けたタグはゴワゴワ…というよりカチカチに固まって光っており、布地の周囲はこれもカチカチになっているではないか。もう使い物にはならぬ。これは私の責任ではないが、1つ大失敗をしてしまったのが残念でならぬ。
スーツケースからどんどん出す時に、気付かず渡してしまった縮緬の袖なしは毛抜合せに仕立てたりリバーシブルで、片方が黒、片方が青味がかったグレー。そのグレーの首のところにタグが貼り付いていた ! 決して剥がれないのだ。肌着のカチカチ、ピカピカは表側もそうなっていたが、リバーシブルの方はそれほどのダメージではなく、黒の方は着られるので助かった。
これは私の不注意の責任だから仕方がない。バーバリーのダウンジャケットの名札付けは断わった方がいいとヘレンが言った。
午後は、テルストラから電話を繋ぐ人が来たり、テレビの配達があった。今回配達されるはずの小さなベランダ用のテーブルと椅子は届かなかった。電話はAAPTを長年利用しているが、外からのコールは繋がるけれど、なぜかこちらからはローカルだけでSTD(長距離通話)を呼び出せない。通じるようになり次第NHKワールドプレミアムに連絡しなければならぬ。もうしばらくNHKを観ていない。妹が録画してくれたビデオを楽しんでいる。 Eの部屋は54号、私は52号、北向きに4室並んでいる。廊下の左側には私たちが使える電子レンジ、流し、小型冷蔵庫やテーブル、ソファーなどが備えられ、そこから庭に出られ、廊下の右端は硝子の扉、庭に出られるし海が見える。
Eが食卓で「私と照子の部屋が最も高価でいい部屋」と言い、周囲に気がひけて私は身の縮まる思い。ずけずけ言う人だ。酸素吸入器必須の病気らしい。戦争未亡人だ。
慌しく時間が飛び去った今日1日だった。明日また来るからねと言ってヘレンは帰った。明後日から彼女は親しいグループ5人で5日4晩のハイキングだ。ヘレンにすがりっ放し、甘ったれ母の私「また孤児になったァ…」と呟く。
ベッドに入る。轟々と聞こえてくる海の音が、キャンベラへ引っ越すまでの9年間住んだNSW州北沿岸、オーシャンショアズの想い出を、断片的に蘇らせる。そこで夫と過ごしたのは6年半きりだったが…。お父さん、今日私たちはここへ引っ越してきたからね。亡夫の遺影を枕許に置き、入居第一夜の帷が海鳴りの中に降りる。
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