極楽とんぼの雑記帳
- 記憶のかけら [2008/10/05]
エッセイ182
ブレア照子
イラスト・タイトルデザイン:森本順子
記憶のかけら
当ホームに2人の日本女性が入居していると聞いていた。その1人、妙子さんには一昨年共通の友人から紹介され、今年の4月ここへ入居して再会した。妙子さんは日本外務省の高級外交官の未亡人である。あとの1人に会ったのは7月に入ってからだ。彼女はスペシャル・ケアの入居者。ダイニング・ルームは別だ。何かの催しに参加する時は付添い人同伴らしい。ラウンジ・ルームで高齢のアジア人を見かけた時、英語で質問をしてみた。どこから来たのか、何年くらいになるのか、など。どちらの問いにも一寸考える様な表情をしてから「知りません」。家族は ? の問いには、自分の親はいないから家族はない、という答え。会話の続けようがなかった。この話を娘のヘレンに告げると、悲しげな表情で言った。「この次会ったら日本語で話しかけてあげなさい。ひょっとすると何かを思い出させるかも…」と。付添いが(ナースかも)「K子」と呼んだのを聞き、やはり日本人だ ! と私は確信した。数日後に彼女に会い、私は以下の様な日記を書いている。
―7月7日 日曜日―
今日、胸迫る一幕があった。潮鳴り轟く海辺の散歩から帰った時、ストレッチ体操が終わり、付添いの女性と歩いてくるK子に出会った。彼女に近寄り「K子さん」と声をかけると「はい ! 」。以下は日本語でのやりとり。
私「あなたは日本人ですか ? 」
K「はい、日本人、わたしは日本人」
私「やっぱり…日本のどこから ? 」
K「広島県 呉市」(ガ、ガーン ! ときた)
私「いつごろオーストラリアへ来ましたか ? 」
K「…さあ…忘れてしもうた…」
付添いが優しく、座って話を、と勧めてくれたので、日当りがよく内庭越しに海が見える窓際の椅子に腰かけた。じっと私を見つめるK子。
私「K子さん、あなた味噌汁はお好き ? 」
K「だーい好き ! ほいじゃが(注:方言で「だけど」の意)味噌汁はないけん…」
懐かしい方言、そのイントネーション、私も方言で
私「それがね、あるんよ。インスタントで具がたくさん、味噌も生味噌で美味しいよ。今作ったげる」
するとK子は、せわしく手を振り、もじもじと遠慮をする。
K「業(ごう)をいらすけん(注:業をいらすとは、広島地方の方言で、面倒、迷惑をかける、の意)、ええです、ええです」
![]() |
私「業なことなんかない、簡単簡単。わたしの部屋はついそこ。すぐ持って来るけんそこ動かずに待っといてね」
大急ぎで部屋に帰り、8食分入りの4食分を取り出して引き返し、広い部屋の片隅に設置されたキャネットで湯を沸かし、ティーカップを味噌汁のお碗代わりに。カップの中で油あげやワカメなどが膨れ美味しそうな匂いが漂う。受け皿に割箸を添えて彼女のところへ運ぶと、世話好きな入居者のベリルがさっと小さな円卓を置いてくれた。体操の後居残っていた男女の入居者たちが、じーっと好奇の眼で私の手許を見つめた。
私「さあ出来上がりい ! 熱いけん用心して飲んでね」
味噌汁の匂いを嗅ぎ、感極まった表情のK子がすがる様な眼をして言った。
K「こんど御馳走したげる。おいしいとこへ連れてったげるけんね」
3人分残っている袋を私は差し出して作り方の説明。
私「絵で説明してある通りにお湯を差すだけよ。簡単でしょ ? ナースに頼んで作って貰いんさいね。さあ、冷めんうちに」。
私は彼女が箸をつけるのを見届けぬまま、お辞儀を繰り返すK子を残しその場を離れた。渡した3食分の味噌汁を彼女が食べたとは思われぬ。その存在の意味さえ思い出せないだろうから。ナースに頼んであげるべきだった。ポケットに2粒残っていた黒砂糖飴をあげ、
私「懐かしいでしょ ? 黒砂糖の飴ちゃんよ」と言ったら、彼女は押しいただきながら言った。
K「黒砂糖、黒砂糖、ありがとうございます」。
英連邦占領軍として日本へ進駐し、後、駐留軍として呉市に駐留した豪陸軍(ちなみに、亡夫は7年間滞在した)、呉市出身というK子が豪兵士と結ばれ、1950年代に渡豪した戦争花嫁…と推察できるのではあるまいか ? 当時、日本人は特殊の条件下以外、入国できない時代だったのだから。
私「呉でオーストラリア人と結婚して ? 」
すると彼女はひと言のもとに否定。
K「わたしゃあ結婚しとらんよ」と首を横に振った。もし英語の姓だったらと思い、苗字を聞いてみると、しばらく考えてから、
K「タ、ナ、カ、」と答えた。
現在彼女が住んでいるここへは、子どもたちが(彼女の記憶に子どもはいないけれど)入居させる労をとったのであろうか…。
外国人と交わることが白眼視さえていた半世紀を超える昔、恋をし、結婚したこと、夫のこと、彼女の記憶にはそのかけらもない。自由に部屋から出られぬ重症の認知症、“スペシャル・ケア”での余生を送る彼女。ある戦争花嫁の孤独な末路 ! 例えようのない物寂しさに胸が詰まる。記憶のかけらもない…と書いたが、彼女は出身地名と旧姓を記憶のかけらに留めていたのだ。いじらしさが私の胸を打つ。呉出身であることは、方言、イントネーションが証明している。この次会ったら呉市のどこに住んでいたのか聞いてみよう。確答は期待できないけれど、ひょっとしたら…。はかない期待をかける。
―8月11日 火曜―
ラウンジのソファーにK子がいた。顔の近くで名を呼び手を振ったが全く反応なし。味噌汁を作った日から1カ月と4日目だ。認知症が進行 ? 私はそっとその場を離れた。同じホームに住む同じ日本人の何という相違 ! 哀しい。最近、自分は恵まれていると自覚し感謝するようになった自分に気が付いた。いささか面映ゆいが、私はそれをしっかりと肯定する。
筆者プロフィル/ブレア照子(Teruko Blair)。1925年生まれ、広島市出身。旧制女学校卒。45年、広島市内の自宅で被爆。第2次世界大戦終戦の数年後に知り合った豪軍人ウィリアム・ブレアと結婚し、53年に来豪。82年に死別した夫との間に3人の子供がある。現在キャンベラ在住。著書に、本紙に連載していたエッセイをまとめた「オーストラリアに抱かれて」、現在も本紙連載中の「英語とんちんかん記」(ともにテレビ朝日出版)がある。本連載のイラストを手掛けるシドニー在住の絵本作家・森本順子は実妹に当たる。
|
その他の注目記事: |



























