福島先生の教育指導
- 原点に還る [2008/5/10]
福島先生の教育指導
原点に還る
教育専門家:福島 摂子
大阪府出身。22年間、教育に携わり、教育カウンセリング・海外帰国子女指導を主に手がける。1992年に来豪。シドニーに私塾『福島塾』を開き、社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命として、幼児から大学生までの指導を行う。2005年10月より拠点を日本へ移し、日々活動の幅を広げていく一方で、オーストラリア在住者に対する情報提供やカウンセリング指導も継続中である
講義のテーマとして何度となく取り上げてきたものに、「自然」があります。元来、日本語の「自然」とは、「自ずからそうなっているさま、あるがまま」という状態を表す言葉でした。しかし、のちに明治時代において英語の“nature”の訳語として当てがわれ、人間界に対し、それ以外の世界を表す言葉として現在も使われています。西洋の考え方の影響を受ける以前の日本人には、人間と自然を分けるという発想がありませんでした。ですから、本来の日本人の意識から言えば、「自然と人間の共生」といった言葉には違和感を持って然るべきなのですが、いかがでしょうか。
もともと「自他」を分けないところに日本人の本質があります。環境問題はもちろん、自分の生き方を考える時、その本質に回帰することが導きになります。日本語には、「衆生(しゅじょう)」という言葉がありますね。これは生きとし生けるものすべてを表しています。草木も虫も人も、同じ一衆生です。自他を明確に分ける意識などないというのが日本人の考え方であって、「私」でない意識になることは当たり前のことでした。それをわざわざ分けた上で生きようとするから、おかしなことになるのです。
生きてゆく時に最も大切な精神は、自分を取り囲む環境に対して外から何ができるかではなく、衆生の中の1つの命として、与えられた環境においてできることをしていくという意識を持つことではないでしょうか。大いなる生命の源から与えられているものをただ与えていくことが、循環する自然の中で一衆生として生きるということなのだと思います。
戦後、ともすれば私たちは、日本語は主語がない、曖昧だ、と言って半ば自らを蔑むような形で自我を植え付けようとさえしてきました。しかし、それは大変な過ちだったのかもしれないと省みる時代がやってきているように思います。「一衆生」という考え方は、人を謙虚にします。この仕事は誰のためにやっているのかという問いを無意味にし、おおらかな気持ちで働くことができます。
しんどいな、と思ったら、誰もが等しく一衆生であることを思い出しましょう。そのためには、自分をできるだけ解き放つことです。ありのままおおらかに存在するものへ心と体を向けてみましょう。まばゆい朝日、水のせせらぎ、そよぐ風。ありのまま、そのままで美しく尊い存在。花に癒されるのは、命の輝きに触れるから。自然の営みに身を浸し、「私」の命も循環している命の1つに過ぎないというところまで立ち戻ることができれば、疲れた心はすっかり元気になっていることでしょう。
|
その他の注目記事: |





























































