jfpピースカフェ
- Sorry Day [2008/3/18]

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第16回:Sorry Day
文:南川節子
2月13日、ケビン・ラッド首相が国会の開会日に、アボリジニの「盗まれた世代(Stolen generation)」の人たちやその家族に対して、首相として公式に謝罪しました。この演説を多くの国民は好意的に受け止め、オーストラリアはまた新しい歴史のページを開いたのだと感動した人も多かったと思います。私も、日本の先住民族であるアイヌの人たちに対して今日まで続く、日本政府による同化政策を思い出しながら、胸が熱くなるのを押さえられませんでした。
一方、ラッド氏の演説に引き続き行われた野党自由党党首ブレンダン・ネルソン氏 の演説には、大勢の人が文字通り背を向けて不快感を表現していました。過去の政府のアボリジニ政策を、当時の人たちの「良い志(Good Will)」 から出たものだとして正当化しようとする姿勢が見えてしまったことが、反発を買った大きな理由なのでしょうが、それだけでは割り切れない違和感を感じたのは私だけでしょうか。
演説の中で彼は、アボリジニ/非アボリジニという対立項を前提に過去を振り返ります。最後の部分でひとつの国民としての連帯を呼びかけてはいるのですが、彼ら/自分たちと対立的にとらえる姿勢は一貫していると思います。母親から力ずくで引き離された子どもの恐怖、子どもを連れ去られた母親の悲しみ、そういったものを自らのこととして共感すれば、彼らと自分たちという垣根はなくなります。ネルソン氏の演説にはその共感が表れていないように思います。
「Sorry Day」 にあんなに多くの人が涙を流したのは、理不尽に引き離された親子の気持ちを共感し、共有して、“I am sorry”と言ったからこそであったはずです。それがネルソン氏の演説には感じられないから、皆が背を向けてしまったのではないでしょうか。同じ人としての共感があれば、差別は生まれないはずです。
文学批評家で思想家でもあったパレスチナ系アメリカ人のエドワード・サイード氏の本の中で、ナチの一員としてユダヤ人の弾圧に加わったある人が、残虐行為になぜ加わることができたのかと尋ねられて「自分の意識の中で、彼らと自分たちと分けてしまったからだ」と答えた部分がありました。
人としての共感をもとに、彼ら/私たちと分けないこと、それが差別や戦争をなくす道だと信じて、草の根の運動をしていきたいと思っています。
Japanese for Peaceプロフィル
2005年3月に設立した日本人を中心とする平和活動グループ。05・06年に広島・長崎平和コンサートを開催。そのほか多数のイベントを企画すると同時に、地元のグループや活動家、他民族のグループとも交流を持ち、平和活動のネットワークを広げている。
Web: www.jfp.org.au
Email: info@jfp.org.au
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