国際ニュース反射鏡
- 訪日の中国主席「暖春之旅」だったのか [2008/6/12]

〜外交と国民感情のはざ間〜
日本の春に近隣国のトップの訪日が相次いだ。韓国の新大統領・李明博氏と中国の胡錦涛・国家主席だ。靖国参拝の小泉前首相時代にこじれた東北アジアの国際関係が、やっとほぐれたかに見える。中国の国営テレビは、特に「暖春之旅」というタイトルを胡錦涛ニュースに毎回付けて中国全土に放映した。主席訪日のあと起きた四川大地震、8月の北京オリンピックは、日中社会をどう変えるだろうか。
筆者紹介・青木公(あおき・ひろし)朝日新聞社友。日豪プレス創刊時に朝日新聞シドニー支局長。定年後、東南アジア、中南米、アフリカ大陸などの途上国を毎年、訪問・取材。現在、国際協力機構(JICA)サポーター。著書に『ODA最前線』『中高年はつらつと海を渡る』『ブラジル大豆攻防史』ほか。海外日系紙に寄稿
10年ぶりの来日、と強調された胡錦涛主席の歓迎式は、5月7日朝、NHKで20分間にわたって生中継された。場所は皇居の広場、天皇の住まいの前庭だった。東京・四谷にある迎賓館が改修中なので、皇居で行われた。陸上自衛隊への閲兵。横浜・山手中華学校と学習院小学校の児童による中日双方の国族の波。式典が終わって、皇居の玄関で、天皇と皇后両陛下、皇太子殿下ら皇族、福田首相が胡錦涛主席夫妻を迎え、握手した。
緊張の主席とゆとり福田首相
民間TVの裏番組では、北京の3億円マンションと農村からの出稼ぎ労働者の対照的な映像と主席来日の背景が流されていた。
翌日、日中首脳会談後の共同声明をめぐる記者会見も、NHKで生中継されたが、胡錦涛主席は、生真面目でとても緊張。斜めに構えゆったりの福田首相と、これまた対照的に見えた。
胡主席は、なぜ緊張していたのか。日本の視聴者よりも、「暖春之旅」とタイトル付きで、国営中央テレビの生放送を見ている中国大衆へのメッセージを強く意識してのことだ。アジアのニューパワー中国の代表として、アジア先進国の日本に、こびているのではないか、と中国大衆が感じるのを心配してのことだろう。
なにしろ、中国サイドには国際的な課題があり過ぎた。オーストラリアでも4月末、キャンベラでの北京五輪の聖火リレー騒動を、オーストラリアの新聞は、Chinese students bully touch crowdsとか、Gangs of Chinese studentsという表現で、各地からバスで乗り込んできた中国留学生の行動を「粗野な集団」として伝えた。英国BBC放送も、赤い中国国旗の集団と、チベット難民や支持者の姿、キャンベラの青空に描かれたFree Tibetの絵文字を映し出して、中国の異様な行動を印象付けた。
ギョーザとパンダの取り合せ
日本では、チベット騒動絡みの聖火リレー騒ぎのほかに、毒入りギョーザ事件、東シナ海での油田開発といった日中問題が、根強い中国嫌い感情を生んでいた。また、京都大学卒の中国人社員が、就職先の日本の大手証券会社でインサイダー取引を犯して摘発されたり、歓迎の日本政府とは別の国民感情があった。
日豪プレス20ページにある日中共同宣言では「戦略的な互恵関係」がうたわれたが、日本の国民感情としては、ギョーザ問題は、どうなったのか。中国からの輸入産品は買わない、という消費者の疑念をはらす成果は得られなかった。経済水域すれすれでの油田開発は、止められないのか。日中共同で開発する気が本当にあるのかへの解答は、胡主席でも出せなかった。これが、日中間の「暖春」なのか。上野動物園で死んだパンダの後継2頭を有償貸与する、と言明されても、納得はいかないのではないか。
とは言っても外交には、国の指導者の個性が反映される。日本でいえば、小泉元首相。韓国の新大統領は、2期ぶりの保守政党のリーダーで、革新政権で冷めた米日との関係を修復した。中国の胡主席は、個人としては3度目の訪日だった。
前主席の江沢民氏は中国革命世代。胡錦涛氏は、天安門事件で改革派の学生集団をなだめたとして失脚した胡耀邦・元総書記を師とした、党青年運動のリーダー。中日の留学生交流を推進してきた新感覚派だ。85、98年に留学生・青年交流で来日している。新中国トップとして、過去の日本経験を生かした形だ。
中国の党、政府では旧ソ連や社会主義国と縁がある指導者が多い中で、胡錦涛主席は、外国の中では日本に最も多くの知己がいる、と言われる人物だ。いわゆる歴史認識、日本の戦争責任を問う中国の国民感情の中で、知日派とみられるのは、政治指導者としては危険なことだ。
北京五輪控えて国難続く
危ない橋、訪日を決断したのは、8・8・8オリンピックを控えて、ニューパワー中国としてアジアの近隣先進国、日本との関係を修復したいという外交戦略ではないか。8月8日夜8時に開会する北京五輪は、新中国として、途上国ではなく、先進国として国際社会にデビューする歴史的な機会だ。
日本にとって1964年東京オリンピックは、戦後復興のニュージャパンを世界に示す国家行事だった。経済成長と平和国家をアピールするため、官民が総力を挙げた。日本から43年遅れて、オリンピック開催にこぎつけた中国と中国人の思いが、10年ぶりの主席訪日や、中国留学生の際立った行動の背景にあると考えたい。
5月12日の四川大地震で、3日後に中国政府は中国被災者には遅ればせながら、外国からの支援申し出に対し、日本の緊急援助隊を一番最初に受け入れた。互恵的な日中関係という国際公約をした胡錦涛主席の判断があるのかどうか、はっきりしない。
しかし日本で四川大地震への同情が高まり、日本の支援に感謝する被災者の声や姿が、TVで流れて、互いの国民感情は和らいだようだ。地震やオリンピックで、心の溝がせばまれば、悪い話ではない。
|
その他の注目記事: |





















