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泥沼アフガン戦争7年目
8月24日明、アフガニスタン東部で長年活動してきた、福岡市を本部とする日本のNGO「ペシャワール会」のボランティア・ワーカー、伊藤和也さん(31)が拉致され、射殺された、と聞いて、「あのペシャワール会まで襲われるようでは…」と直感的に思った。アフガニスタン社会が荒廃して、「丸腰こそ安全」という同会の信条が通用しなくなった。
筆者紹介・青木公(あおき・ひろし)朝日新聞社友。日豪プレス創刊時に朝日新聞シドニー支局長。定年後、東南アジア、中南米、アフリカ大陸などの途上国を毎年、訪問・取材。現在、国際協力機構(JICA)サポーター。著書に『ODA最前線』『中高年はつらつと海を渡る』『ブラジル大豆攻防史』ほか。海外日系紙に寄稿
ペシャワール会と中村医師
「ペシャワール会」は、現地代表の中村哲氏(62)の独自の考え方に共鳴した日本人の寄付、会費で支えられているNGO。九州大学医学部卒の臨床医で、ヒンズークシュの高峰に登ったのが縁で、1984年からパキスタン北西辺境州の州都ペシャワールでハンセン病の貧民層の診療を始めた。
北西辺境州はアフガニスタンと境を接するが、イギリスがインド統治時代にペシャワールはアフガン王家の冬の都だった。現在もアフガン人や難民が多く住む町で、79年のソ連侵攻、その後の内戦、イスラム武装集団のタリバン統治、2001年のNYテロ後のアフガン戦争と20年以上の動乱で、パキスタンに溢れ出たアフガン難民の医療が、ドクター中村の使命となった。「ペシャワール会」は実質、「アフガニスタン会」となった。国境を越えアフガン東部にも診療所を開き、日本人とアフガン人医師が無料診療に当たってきた。
住民の信頼たより農村復興
アフガン人に殺された伊藤青年は、医療人ではなく、農業指導のワーカーだった。ドクター中村は、日本社会にアフガンの実情を訴えるため幾冊もの著書がある。題名は、例えば「医は国境を越えて」「医者井戸を掘る」など。アフガン東部で干ばつに苦しむ貧しい農民と接するうちに、アフガン復興の要は、自給自足の農村の回復にあると、農業計画に力を入れるようになった。
診療所もあるダラエ・ヌール渓谷で、伝統的な地下かんがい水路(カレーズ)の復旧を手がけ、さらにかんがい用の大井戸も掘った。もちろん中村医師が力仕事をしたわけではないが、ペシャワール会を信頼する地元のアフガン人を指揮して、農業用水路を建設中。難民も定着するようになった。
伊藤青年は、農業プロジェクトの試験農場で、アフガン人とともに働き、溶け込んでいた。右上の写真で分かるように、アフガン人と同じ帽子、衣服で見分けがつかないくらいだ。中村医師も農業現場に出る時は、白衣を脱いでアフガン風の着衣姿なのが日本のテレビでも紹介されてきた。
「丸腰こそ安全だ」の信条通す
アフガン戦争が泥沼化して、治安が悪くなっても、ペシャワール会は、丸腰の安全保障という流儀を貫いてきた。「ひたすら現地とともに。地元が守ってくれる」というのが中村医師の信念だった。国際機関や日本の国際協力機構JICAは、武装した民間のガードマンを雇い、身を守っているが、ペシャワール会は、NGOらしく、民兵にも頼らず、丸腰を通してきた。
「ソ連が来た時も、米軍の空爆下でも、われわれは活動してきた。治安は武力では解決しない。アフガン人の空腹をなくすのが、平和と治安につながる」
日本への一時帰国からアフガンに戻る途中の中村医師は、伊藤青年の死を知って、こう述べた。
「アフガンのために働いたのにアフガン人に殺されたと責めないでほしい。ほとんどの人は、われわれの事業に感謝している」と語り、地元のアフガン人をかばうかのようだった。
アフガン治安当局やメディアは、反政府のタリバンの犯行としているが、現地を知る中村医師は「政治的な背景はないのではないか」とも語った。
中村医師のタリバン観は、ひと味違っている。「もともとタリバン勢力は東部や南部のパシュトーン部族(アフガン最大の部族)と親和性が強く、農村を基盤にしていた。アフガン人の9割は農民や遊牧民だから、貧しい人や農民の中ではタリバンは嫌われていたわけではない」と、ペシャワール会報にも記している。
農民とともにある、というペシャワール会の自負がうかがえ、無防備=丸腰の自信の裏付けになっていた。
アフガンと伊藤青年
伊藤青年はなぜペシャワール会に入ったのか。静岡県掛川市の出身で、静岡県にはNGO「カレーズの会」がある。カレーズとは、アフガンの乾燥台地の地下を流れる雪どけ水脈のこと。理事長はアフガニスタン出身の医師レシャード・カレッド氏だ。京都大学医学部に留学中、ソ連侵攻で帰国できなくなり、日本女性と結婚して静岡県島田市の公立病院で内科医長の後、町の開業医となった。患者の話を親身に聞いてくれる、山間地へも往診してくれる、と住民の信頼は深く、町の名医となった。時に故国アフガンにも医療支援に出かけた。カレーズの会は、日本人会員の支援でアフガン南部に診療所や学校を建て、アフガン医師の日本研修も引き受けてきた。
伊藤青年はカレーズの会、レシャード医師を通してアフガニスタンを知り、農業高校、短大卒の経験を実践したいと、アフガンへ。中村現地代表の下で農業指導に汗を流してきた。
戦禍で反外国人感情つのる
20年以上も地元民に親しまれていたペシャワール会まで襲われるようなアフガン社会の荒廃は、いわゆるアフガン戦争と無関係ではない。7年前の米国同時多発テロの元凶は、アフガンに潜むビンラディン一味。タリバンが匿っている―というのが米、英の大義だった。タリバンを一掃したはずだったが、アフガン庶民を戦闘に巻き込み、誤爆、誤射で、国際治安支援部隊=外国人への反感は高まり、タリバンのゲリラ活動が息を吹き返した。オーストラリア兵士も6人が戦死している。
NGO青年の死が、イラク戦争の陰で、忘れかけられていたアフガン戦争の実相を浮かび上がらせた。

















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