政界こぼれ話
- ジョエル・フィッツギボン国防大臣 [2008/4/23]
政界こぼれ話人物編 その90
ジョエル・フィッツギボン国防大臣
ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本 直樹
労働党のジョエル・フィッツギボン国防大臣は、1962年1月16日にNSW州のベリンジェンで誕生している(46歳)。父親のエリックは、有名なワイン醸造所の存在で知られる同州のハンター連邦下院選挙区を、84年〜96年まで保持した政治家で、要するにフィッツギボンは、労働党政治家に多い「二世議員」の1人である。
聖パトリック高校で16歳まで学び、その後は自動車の電気系統の技術者となる道を選んでいる。12年間にわたり自動車関連業界で働き、小さな自動車修理工場も経営していたが、結局転職し、一時はビジネス関連の教育事業に乗り出している。
政治に関わるようになったのは87年で、この年にセスノック市の市議会議員となり、89年には同市の副市長に就任した。政治に目覚めたフィッツギボンは、90年には父親の地元選挙事務所に入り、連邦政治家になるべく「修行」。そして、ハワード保守連合政権が誕生した96年の連邦選挙に、父親の地盤を引き継いでハンター選挙区から出馬し、見事初当選を果している。
翌98年の選挙以降は、影の小ビジネス・観光大臣を皮切りにして、資源や銀行などの所掌を担当する影の大臣を歴任。07年12月に、ラッド新党首の下で実施された影の閣僚の改造では、影の国防大臣に抜擢され、そして昨年12月に労働党政権が発足した際には、そのまま閣内の国防大臣に就任し、現在に至っている。
国防の所掌は「格」が高いばかりか、おそらく最も運営の困難な大規模かつ複雑な所掌でもあることから、比較的無名であったフィッツギボンの国防相就任はやや驚きをもって受け止められた。ただ気さくで人当たりも良く、地に足の着いたフィッツギボンは、影の国防相時代には、豪州軍兵士といった人々の間で非常に評判が良かったと言われる。
思想、信条だが、フィッツギボンは強力なNSW州右派に所属し、したがって経済分野では市場原理の信奉者と言える。ただし地元のためには、保護主義的姿勢も厭わず、例えば地元の養鶏産業の保護のため、加工鶏肉の輸入規制緩和に反対し、その執拗かつ猛然としたロビイングぶりにより、同僚からは鶏肉担当大臣との渾名を奉られた。
フィッツギボンは、労働党と喧嘩別れした「問題児」レイサム元党首と、唯一コンタクトを維持していた政治家ということでも知られる。家族は美容師のダイアンと子ども3人である。若いころはラグビーの選手としても鳴らした。
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