政界こぼれ話
- ニック・シェリー年金・企業統治大臣 [2008/5/10]
政界こぼれ話人物編 その91
ニック・シェリー年金・企業統治大臣
ナオキ・マツモト・コンサルタンシー:松本 直樹
労働党のニック・シェリー年金・企業統治大臣は、1955年11月19日に英国のロンドンで誕生している(52歳)。 父親はTAS州のフランクリン連邦下院選挙区を69年から75年まで保持した政治家で、要するにシェリーも、労働党にはかなり多い「二世議員」の1人である。
公立学校を経てTAS大学に進学し、ここで政治学などを専攻。大学卒業後は、酒類等関連労働組合の専従員として労働運動に邁進し、79年には同労組のTAS州書記長に就任している。87年には、父親と同じくフランクリン選挙区から連邦下院選挙に出馬したが、この時はあえなく落選。ただ上院選挙へと鞍替えした90年選挙で、同州の連邦上院議員に選出されている。
その後、キーティング労働党政権下で3年間にわたり、第1次産業・エネルギー担当の政務次官を務めた。96年3月に労働党が下野すると、シェリーは労働党上院副リーダーの要職に抜擢されている。影の閣僚としては、退職年金、消費者問題、ビジネス規制、銀行など、ほぼ一貫して経済畑を担当。野党時代の最後には、影の年金・世代間財政兼影の銀行・財政サービス相を務め、そしてラッド第1次労働党政権では、閣外の年金・企業統治大臣に任命され、現在に至っている。
年金問題では労働党でも屈指のエキスパートとされる。
思想、信条だが、シェリーは中道左派/独立派に所属する。もともと弱小の同派閥は一層弱体化しつつあるが、ただ大勢力の右派並びに左派の勢力が拮抗しているため、依然として中道左派は「バランス・オブ・パワー」役を担っている。
人柄、エピソードだが、何と言ってもシェリーの名前を世間に知らしめたのは、97年に手首を切って自殺を図った事件であった。原因は旅費・宿泊費不正受給スキャンダル、といっても、シェリーがホバート近郊の母親の家に数多く宿泊しておきながら、その度にホテル代を請求したという、相当に他愛のないものであった。
実は同じく不正受給問題で野党からの攻撃を浴びていた保守政府が、復讐とばかりにシェリーの一件を政治問題化したのである。特に議場でシェリーを笑い者にしたコステロ財務大臣のパフォーマンスが、シェリーを追い詰めたとされる。
ただしシェリー自身は後に、むしろ直接の原因は、まま息子との関係について良からぬ噂を立てられたことであったと述べている。自殺未遂事件の直後には政界からの引退は必至と見られていたが、見事に立ち直り、ついに大臣の座を射止めている。
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