追悼企画
- ヒース・レジャー突然の死去 [2008/2/04]
豪出身、ハリウッド界の寡黙なスター、
ヒース・レジャー突然の死去
1月23日(米現地時間1月22日)、ハリウッドで活躍する豪出身俳優ヒース・レジャーの突然の訃報が飛び込んできた。映画『ブロークバック・マウンテン』でオスカーにノミネートされ、米ローリング・ストーン誌からは「素晴らしいパフォーマンスはまるで奇跡のよう」と評されるなど、俳優として絶賛を受け、まさにこれからと思われたレジャー。しかし、役者として脚光を浴びながらも、メディアとの折り合いは悪く、セレブとして注目されることを拒んだ。この豪州出身の寡黙な俳優は、いったいどんな人物だったのか。突然の死を遂げた、彼の軌跡をたどる。
写真:『アイム・ノット・ゼア』でレジャー扮するボブ・ディラン
新進気鋭の俳優−パースからハリウッド界に進出
ヒース・レジャーは1979年4月4日、WA州パースに生まれる。自身の通うパースのギルフォード・グラマー・スクールの劇団に所属する傍ら、数々のオーディションを受け、92年に豪映画『クラウニング・アラウンド』に脇役で出演。16歳で学校を卒業し、俳優としてのキャリアを目指す。
テレビ・シリーズ『スウィート』や人気ドラマ『ホーム・アンド・アウェイ』などのテレビ番組ほか、映画『ブラックロック』『トゥー・ハンズ』に出演するなど、豪州で役者としてのキャリアを着実に積んだ。
99年『恋のからさわぎ』でハリウッド・デビュー。その後も豪米で数々の映画に出演し、01年には映画『パトリオット』、『ROCK YOU ! 』での演技が評価され、全米劇場主協会主催の「ショーウエスト」で「明日の男性スター賞」を受賞するなど、豪州だけでなくハリウッド界でもその地位を確立していった。そして05年に公開され、アカデミー賞をはじめ多数の賞を受賞した『ブロークバック・マウンテン』で、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされる。惜しくも受賞を逃したものの、各メディアの映画評論で絶賛され、ニューヨーク映画批評家協会とサンフランシスコ映画批評家協会から「2005年ベスト・アクター賞」を受賞するなど、実力派若手俳優としてその名を映画界に知らしめた。
メディアとの関係
このように、前途洋々、役者として将来を嘱望されていたレジャー。しかしハリウッド・スターの座に上り詰めながらも、ニコール・キッドマン、ケート・ブランシェット、メル・ギブソン、ラッセル・クロウなど、豪州を代表するハリウッド・スターと比べ、いまひとつ華やかさに欠けていた感は否めない。彼の訃報に「ヒース・レジャーって誰 ? 」と思った人は多いかもしれない。それは、実力こそありながらも、ハリウッドのセレブではなく、自分は役者なのだという主張を通した、レジャーの役者精神とシャイな性格が、スターを囃し立てるメディアと折り合わなかったからかもしれない。
レジャーはインタビュー嫌いで知られていたが、それが返ってメディアの関心を誘い、有名になればなるほどメディアとの関係は悪化していった。
なかでも04年、レジャーがパパラッチにつばを吐いたのは有名な事件だ。レジャー自身はこれを否定したが、事件直後、シドニーの某メディアからは「ハリウッドで最も汚らしい男」などと評された。そして06年、シドニーで行われた『ブロークバック・マウンテン』のプレミア上映会のレッド・カーペットで、パパラッチが水鉄砲でレジャーに復讐をしたことは有名な話だ。そしてこの翌月、レジャーはシドニーのブロンテに購入した家をわずか2年足らずで売り払い、拠点をアメリカへと移した。
しかし彼の友人らによると、レジャーは温かく、傷つきやすい人間で、役者という職業に真摯な姿勢を持つ人物だったという。レジャーは自身が有名になるにつれ激化するメディアにどう対処してよいのか戸惑っていただけなのだ。
映画『キャンディ』に出演した豪役者ノニ・ヘーゼルハーストは「レジャーはセレブ界に対して居心地の悪さを感じていた。自身が目指していたのは最高の役者になることだったのに」と語っている。レジャー自身も「(メディアのせいで)自分の国に住めないのは残念なこと。(プレミアで水をかけられたことを受けて)すごくショックだった。映画の紹介をしなければならなかったけど、ほとんど話すことができなかった。すぐに家に帰って、風呂場で泣いたよ」と語っていた。
謎の死
1月23日、レジャーの死が伝えられた際、彼のアパートのベッドの脇には睡眠薬を含む処方薬が置かれていたことから、死因は睡眠薬の過剰摂取による疑いがあると報道され、レジャー自殺説が飛び交った。1月28日現在、未だ死因は解明されていない。レジャーの家族は自殺説を否定しているが、その一方で、レジャーがこのところストレスを抱えていたことは事実。数カ月前、バットマン・シリーズの最新作『ザ・ダーク・ナイト』の撮影中「先週は平均で一晩で2時間くらいしか寝てない」とその精神的苦痛をニューヨーク・タイムズ紙に語っていたという。
また、ヒースは元婚約者で『ブロークバック・マウンテン』で共演したミシェル・ウィリアムズとの間にもうけた娘マチルダちゃんについては、「子どもは人生のすべてを変える―もちろん良い意味でだけど。犠牲にするものは多いけど、その代わりに得られるものはもっと大きい。自分はある意味、死ぬ準備ができたような気がする。だって、自分は子どもの中に生き続けるから」と語っていた。
「なんという悲劇」−ニコール・キッドマン、メル・ギブソン
レジャーの突然の死は、彼の家族はもとより、豪州、ハリウッド、そして映画界全体に衝撃をもたらした。ヒースとともに映画『アイム・ノット・ゼア』に出演したケート・ブランシェットは「ヒースの仕事ぶりにとても感心していたし、役者として常に邁進する彼を尊敬していた」と語る。同じく豪出身のニコール・キッドマンは「なんという悲劇。家族の皆さまに深く同情いたします」、また映画『パトリオット』でレジャーと共演したメル・ギブソンも「将来有望な役者だった。これからという時だったのに。これほど若くしてこの世を去ってしまうのは、悲劇的なことだ」と語るなど、豪米映画界のスターや関係者から、わずか28歳という若さで突然この世を去ったレジャーの死を悼む声が寄せられている。
米現地時間の1月26日、ロサンゼルスで行われた密葬には、レジャーの家族ほかミシェル・ウィリアムズとマチルダちゃん、元恋人のナオミ・ワッツらが参列した。遺体はこの後、故郷のパースに移送され、パースでも葬儀が行われる。


写真上:『ブロークバック・マウンテン』でゲイのカウボーイ役を演ずる
写真下:ドラッグに溺れる若いカップルを描いた豪映画『キャンディ』
ヒース・レジャー代表作
1999 トゥー・ハンズ 銃弾のY字路
1999 恋のからさわぎ
2000 パトリオット
2001 ROCK YOU !
2001 チョコレート
2002 サハラに舞う羽根
2003 悪霊喰
2003 ケリー・ザ・ギャング
2005 カサノバ
2005 ブロークバック・マウンテン
2005 ロード・オブ・ドッグタウン
2006 キャンディ
2007 アイム・ノット・ゼア
2008 ザ・ダーク・ナイト(原題)






















