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![]() ![]() ![]() シドニーで今一番ホットな女性と言えば、今年4月に160年の市政史上初の女性市長に就任したルーシー・ターンバル氏。有力者を数多く輩出している名家の出身で、華やかで聡明なキャラクターだが、フランク・サーター前市長が大きな功績を残し市民の人気も高かっただけに、その後継者としての責務は重大だ。五輪の成功から約3年を経たオーストラリア最大の都市に新しい風を吹き込むことはできるか?
曾祖父は初代シドニー市長のトーマス・ヒューズ卿、父は王室弁護士のトム・ヒューズ元連邦司法相、夫はオーストラリア共和制運動の前会長で、国内で「トップ200人の大金持ち」として知られる弁護士のマルコム・ターンバル氏。政界に強い影響力を持つエリート・ファミリーの一員だ。 市長に選ばれた際に、一部には彼女を「どうせ特権階級だから」と見る向きはあった。しかし今では、彼女が働き者で、ファイティング・スピリットを持ち、数々の業績を上げているために市長に選ばれたことを疑う人は少ない。 4月に新市長に就任してから3カ月。“上流社会”とはうまく付き合いながら、同時に一般のシドニーっ子にも親しみやすい市長というイメージが浸透してきたようである。 7月公開の映画「チャーリーズ・エンジェル フルスロットル」のプレミアが6月にシドニーで開催されたが、ターンバル市長はそんな華やかな舞台にしばしば出席している。その一方で、彼女は地域社会との対話に積極的で、市のミーティングやチャリティー・イベントにも頻繁に顔を出し、1日12時間以上の激務をこなしている。今年初めの市域拡大でシドニー市に編入された市内最大の歓楽街、キングス・クロスでは、さっそく清掃キャンペーンを実施し、地元市民の喝采を浴びた。また、同地区の市民との集会に出席した際は、地元のバイカー(バイクを乗り回す集団)たちも参加させるなどあらゆる層との対話に積極的だ。 「市長職には2つの役割があります。“統治する者”としての役割、そして(シドニー市の顔という)“大使”としての役割。まずは、前市長の功績である健全な市財政を継続しないといけません。年間2億ドルの歳入があり、約1,000人の従業員を雇用するシドニー市は、民間で言えば大企業。健全な“経営”を維持すると同時に、われわれの“株主”である市民に対して、清掃やゴミ収集、許認可手続き、治安維持など良質なサービスを提供する必要があります。シドニーを代表する親善大使のような役割もとても重要ですね」 幸先の良いスタートを切ったようだが、2004年3月には次期選挙を控えている。実は彼女、次期選挙に立候補するかどうか、まだ態度を公表していない。この7月には意思を明らかにする予定だが、次の選挙を戦うとしてもそれまでにやることは山ほどある。まずは最大のライバル、自由党のピーター・コリンズ氏の支持率を上回らなければならない。それに、以前から自由党との関係が深い夫のマルコム・ターンバル氏が有名なため、自由党系と見られがち。そうした従来のイメージを払拭して、無所属であることと、コリンズ氏の政策との違いをより明確にする必要がある。 もちろん、選挙戦が始まるまでは日ごろの仕事が重要なのは言うまでもない。「シドニーの高い生活水準を維持していくことが最大の目標です。5月に市域がほとんど2倍に拡大して、われわれはより多くの市民に行政サービスを提供しなければならなくなったので大変です」 もし次の選挙でターンバル市長が勝てば、市政にかかわるよりずっと以前から構想していた「持続可能な都市開発」が具体化できるはず。同構想はサーター前市長と志を同じくするものである。 これは、1980年代以前の都市計画に対する反省から出てきたものだ。当時、市内中心部(CBD)は純粋なビジネス街ととらえられ、開発の重点は郊外に置かれた。その結果、勤務時間外は人のいない、冷たい空洞のような部分が街の真ん中に出現してしまった。勤務時間外や週末は、商店も開いていないし、緑地もほとんどなく、娯楽もないに等しかった。静まり返った市内を途方に暮れながら散策する観光客の姿も珍しくなかった。 しかし、90年代に入ってから今度は都市部の再活性化策が政策として進められたため、CBDに住民が戻り、居住人口は4万人から7万人へと急増した。新築の高層マンションや小売店も増えた。交通機関も便利になり、娯楽施設も多様化している。そんな今日のシドニーに最適な「持続可能な都市開発」とは? 「自然と建築物の融合を目指します。例えばビルの屋上に庭園の設置を促進するための規制緩和などを実現したいですね」 また、CBDから放射状に伸びる3本の幹線道路を整備する、「ゲイトウェイ計画」もこうした思想に沿った都市計画だ。CBDから西に伸びるブロードウェイと、パディントンを通って東部郊外に抜けるオックスフォード・ストリート、キングス・クロスへ向かうウィリアム・ストリートの3つの大通りで、歩道を拡張して、街路樹やストリート・ファニチャーを増やし、「市民にとってより優しい街造り」(ターンバル市長)を目指す。 さらに、観光客が減って住民が増えているキングス・クロスでは、落書きの消去やホームレス対策を通して「誰もが安心して歩ける街作りを進めます。住民やビジネス・ピープルにとって魅力的な街は、観光客も引き付けることになるのではないでしょうか?」 シドニーは現在、ITや金融関連の国際企業の受け入れに積極的だ。その結果、CBDの人口構成は多様化した。2002年の統計によると、同地区は高額所得者が多くて、さらに45%が海外生まれ(ほとんどが英国またはアジア諸国)で、両親が海外で生まれた人は51%。ターンバル市長はこうした国際化の波をどう受け止めているのだろうか? 「シドニーはアジア太平洋地域を代表する金融センター3都市のうちの1つ。オーストラリアの国際ビジネスや観光の中心となる都市です。大手のメディア関連企業がピアモント周辺に進出し、国際企業の誘致を牽引している格好です。われわれとしてもこうしたトレンドをさらに後押ししていきたいですね」 長引く日本の不況にもかかわらず、日本人は依然として海外からの訪問客の1/3を占め、留学生の数はさらに拡大している。「20世紀初頭から、シドニーと日本は力強い交流がありました。シドニーは資源輸出の基地だったのです。しかし、その関係は今では非常に多様化し、その重要性はますます増しています」 シドニーの将来に対するビジョンも、市長になるまでのキャリアもビッグだが、彼女自身はとても小柄な人。視線が鋭く早口で、ハキハキとした中性的な雰囲気だが、その一方で、時折見せる温かみのある笑顔も、とても印象に残る。親しい友人は、彼女の性格について「タフで、ユーモアがあり、ウィットに富んでいる」と形容するという。最初は、建築家か彼女の母親のようにジャーナリストになりたかったらしいが、シドニー大学法学部を卒業し法律家の道を選んだ。都市計画の専門家でもある。シドニーのビジネス・シーンでの経験が長いだけではなく、経済や政治、歴史にも造詣が深い。 「私は20年以上法律のプロとしてのキャリアを積んできたので、政界入りはつい最近の出来事。父が幼い私によく判例について説明してくれたせいで、法律や政治への関心が高まっていったんだと思います。自分の子供たちが法律家の道に進むと言ったら、もちろん大賛成だけれど、まずは幸せな人生を送るのが一番です」 ともあれ、男性の活躍が目立つ彼女のファミリーの中で、ターンバル市長の活躍は、最近では一番注目を集めているようだ。シドニーで初めての女性市長になった気分は?「とても光栄です。(同じく女性の)ディクシー・クールトン副市長と一緒に仕事ができることも。(2人のコンビが)オーストラリア女性にとって良い手本になることができれば嬉しいわ」 プロフィル
1958年シドニー生まれ。シドニー大学の法律学部を卒業後、Allen, Allen & Hemsley法律事務所に入所。80年にマルコム・ターンバル氏と結婚。翌年、長男アレックス君の出産後、ニュー・サウス・ウエールズ大学でMBAを取得、後に夫が取締役を務める法律事務所で14年間パートナーとして働く。84年に娘のデージーちゃんを出産。シドニー子供病院基金など様々慈善事業に携わりながら、99年に著書「シドニー:ある都市の伝記(Sydney: Biography of a City)」を執筆。シドニーの都市開発に関する本もいくつか共同執筆している。99年、副市長としてシドニー市に招かれた。03年4月より現職。 |
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