2006年11月7日、メルボルン郊外のフレミントン競馬場で開催されたオーストラリア最大のレース“メルボルン・カップ”。激しいレースの末、デルタブルース、ポップロックという日本の競走馬がワン・ツー・フィニッシュという快挙を成し遂げた。
デルタブルースとポップロックを産出したノーザンファームの吉田勝己オーナー、2頭を調教する角居厩舎の角居勝彦調教師、そしてデルタブルースに騎乗した岩田康誠騎手。日本からやって来たサムライたちはいかにしてレースに挑み、そして勝利したのか。それぞれにインタビューを行い、その軌跡を辿った。
文=堀吉城治
Interview & text: Joji Horiyoshi
■デルタブルース
2001年5月3日、北海道早来町にあるノーザンファームで1頭のサラブレッドが産まれた。かつて“高速の末脚”と呼ばれ、菊花賞を制したダンスインザダークを父に持つその馬は、母の名前であるディクシースプラッシュから連想される「ミシシッピ河口の三角州地帯を起源とする荒々しいブルース」という意味が込められ、“デルタブルース”と名付けられた(ミシシッピ川が流れるアメリカ南部は、かつてディクシーランドと呼ばれていた)。
ノーザンファームの吉田オーナーにデルタブルース誕生時のことを尋ねてみると、「毎年たくさんの馬が産まれますからね。正直、産まれた時のことまでは覚えていられませんよ」と笑いながら打ち明けられた。そんなたくさんの馬たちの中で、デルタブルースが頭角を現したのにはある理由があった。それが父親譲りの“長い距離を走れる脚”である。
メルボルン・カップでデルタブルースに騎乗した岩田騎手が初めてデルタブルースに騎乗したのは2004年の梅花賞。結果は4着だったが、岩田は「大型の馬で、距離の長いところでバテない強さを持っている馬ですね」とデルタブルースを評しており、岩田が感じたその強さは、同じ2004年の菊花賞(3,000メートル)での勝利という形で実証されている。
調教師の角居は「瞬間的なスピードには物足りなさを感じる部分もあるが、力があり、軽い馬場よりも重い馬場、短いレースよりも長いレースに向いている馬です。ただ、日本には3,000メートル以上のレースが少ないので、力を出し切って走れるレースは限られてしまいます」と語る。
産まれた時のことは覚えていないと笑っていた吉田も「(距離が)長いと走る。力が持続する馬で、瞬発力よりも長く走る力に長けた馬です。走り出したら止まらないんですよ(笑)」とデルタブルースへの賞賛を惜しまない。
長い距離で勝負するデルタブルースにとって、3,200メートルのメルボルン・カップはその力を存分に発揮できる最高の舞台だったのだ。
■3人のサムライ
日本最強馬と誉れ高いディープインパクトなど優秀なサラブレッドを多数生産してきた日本屈指の大牧場ノーザンファームは、優秀な馬が引退後に同ファームで種牡馬生活を送れるように、現役時代からその馬の株式をある程度買い取る方法を採用している(ディープインパクトもその中の1頭である)。
血統の影響が非常に大きい競馬の世界で、これだけ優秀な馬を産出し続けている同ファームは、常に優秀な種牡馬と繁殖牝馬を所有しているということになる。その状況を維持し続けることがどれだけ大変なのかは想像に難くない。だが吉田は「いい馬を育てることが仕事ですから、それを苦労だと思ったことはありません」と言い切る。角居厩舎の馬の多くがノーザンファーム産で「(ノーザンファームは)産まれる前にお腹の中にいる時から、牧場の方たち全員で世話をして、研究に取り組んでいる。毎年行くたびに驚くほど進化しているのが分かります」と、角居はノーザンファームのすごさを教えてくれた。
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| 豪州最高峰レースを制した喜びを爆発させる岩田康誠騎手 |
そのノーザンファーム産の馬を調教してきた角居は、調教師としては若手だが、その実績はベテランの調教師をも凌駕しつつある。栗東の中尾謙太郎厩舎、松田国英厩舎で調教助手を務めた後、2000年に角居厩舎を開業。01年3月11日の阪神競馬第6競走にセトノマックイーンで初出走すると、同月24日の阪神競馬第9競走に出走したスカイアンドリュウで初勝利を飾る。国内G1の初優勝は04年の菊花賞で、奇しくもメルボルン・カップと同じく馬はデルタブルース、騎手は岩田だった。
翌05年にはシザーリオ(ノーザンファーム産)でオークス、アメリカン・オークスを制すると、その勢いは止まらず、香港マイル、ジャパン・ダート・ダービー、ダービー・グランプリ、ジャパン・カップ・ダートなどで優勝し、05年最多賞金獲得調教師賞を受賞している。そして、06年にメルボルン・カップでデルタブルースとポップロックがワン・ツー・フィニッシュを飾ったことで、海外レースにも勝てる調教師として改めてその手腕が高く評価されている。角居厩舎に多くの馬を置く吉田も「若いけど仕事が非常に丁寧で、抜かりがない。実力があります」と角居に対して全幅の信頼を置いている。
角居と同じく04年の菊花賞でデルタブルースとともにレースに挑んだ岩田は、同賞で地方競馬所属の騎手として初のG1勝利を挙げた。05年12月8日に園田競馬第1競争で1着となり、通算3,000勝を挙げると、06年度の新騎手試験に合格し、満を持して中央競馬に移籍した。
通算で3,000勝以上を挙げている岩田だが、「まだキャリアが浅いので、すべてが勉強です」と、メルボルン・カップを制した騎手とは思えないほど控えめに語る。その一方で、「負けん気は人一倍あると思います」と勝負に対する執着心の強さ、闘志が自分の持ち味であると話してくれた。
岩田の強さはそれだけではない。
「菊花賞を獲った騎手だからね。追う力がありますよ」(吉田)
「しっかりと馬を最後まで走らせることができる騎手です」(角居)
競馬ファンの間からは、やがて日本のトップに君臨する可能性も十分にあるという声もあるほどだ。その実力はメルボルン・カップでの走りが証明している。
■運命のメルボルン・カップ
吉田がメルボルン・カップへ挑戦することを決めたのは、05年の12月だった。「ステイヤーズという3,600メートルのレースでデルタブルースが勝った時に、『よし、(メルボルン・カップへ)行こう ! 』ということになりました」(吉田)。だがその後、デルタブルースは同月の有馬記念で11着、2006年2月の京都記念で5着、3月の阪神大賞典で3着に入るも、4月の天皇賞で10着と大敗すると、右前脚に脚部不安を発症し、休養に入ることになった。「一時は調子を崩していたというか、物足りなさを感じていた時期もありました」(岩田)
だが、角居のメルボルンへ向けた調教は既に始まっていた。オーストラリアへ持ち込める飼料に制限があることを知っていた角居は、デルタブルースとポップロックが日本にいるころからオーストラリアで食べる飼料を取り寄せ、日本の飼料の中に混ぜることで慣れさせていたのだ。「(2頭とも)しっかり食べてくれたので安心しました。気候の面でも日本はこれから涼しくなっていく時期でしたし、オーストラリアも春とはいえ今年は例年より気温が低かったようで、うまく合ってくれましたね」(角居)
結局、デルタブルースは日本のレースに出走しないままオーストラリアへと渡ったが、角居の狙い通り順調に調教を重ねていった。「デルタブルースはきつい調教を課して一気に調子を上げていくタイプの馬で、ポップロックは徐々に仕上がっていくタイプの馬なんです。それぞれ調教のタイプが違いますが、どちらもうまく仕上がってくれました」(角居)
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| 「追う力がある」(吉田オーナー)、「しっかりと馬を最後まで走らせることができる騎手」(角居勝彦調教師)と信頼の厚い岩田康誠騎手 |
10月21日にコーフィールド競馬場で開催されたコーフィールド・カップに出走すると、好スタートを切ったデルタブルースがそのまま好位をキープし、持ち味の末脚を使って外から伸びると、1着のトーキートと小差の3着。ポップロックは直線で前が塞がる不利の中、好走を見せ7着の成績でメルボルン・カップへとつながる重要なレースを終えた。
「デルタブルースはどちらかというと休み明けより走りながらよくなっていく馬なので、コーフィールド・カップでは正直、ポップロックの方が上に行くと思っていました。ですが、レースが終わってみるとデルタブルースの方が着順は上だったので、『どちらもメルボルン・カップではもっと上を狙えるのでは』という手応えに繋がりました。コーフィールド・カップに出られたのはとても大きかったですね」(角居)
コーフィールド・カップでデルタブルースに騎乗したのは岩田ではなかったが、本番であるメルボルン・カップでは岩田が騎乗することになるのは決まっていたという。
「メルボルン・カップでデルタブルースに乗りたいと言ってずっと待っていてくれた騎手がいたんだけど、彼(岩田)と約束していたからね」(吉田)
「デルタブルースは精神的にムラがあるというか、言い方はちょっと悪いけど、ズルして3,000メートルを流して走ったりすることもある子なんですが、彼(岩田)はそんなデルタブルースにちゃんと勝負させる、最後までしっかり走らせることができる騎手なんです」(角居)
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| 優勝をかみしめる角居勝彦調教師(左)と岩田康誠騎手 |
そうして迎えた運命の11月7日。「コーフィールドでの走りを見て、順調に仕上がっていると思っていましたが、当日のデルタブルースは最高の仕上がりでした。菊花賞を獲った時よりもっと良い状態でしたね」(岩田)。その仕上がり良さはいきなりレースのスタートに表れた。デルタブルース、ポップロックともに好スタートを決めると、岩田の持ち味である積極的な走りで2、3番手を追走し、ポップロックは中団からチャンスを伺う展開に。「スタートを決めてレースできたら…と思っていました。集団の中から抜け出す瞬発力というのも馬の体力を使うので、できればスタートから抜け出したいと思っていたんです」という岩田の狙い通りの展開でレースは進んだ。
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| 右はポップロックに騎乗したダミアン・オリバー騎手 |
デルタブルースが好位につけたまま残り800メートルとなったところでレースが動いた。欧州最高の長距離戦であるアスコットGCを制したアイルランドのイエーツが先頭に立つと、デルタブルースもそれを追い、残り400メートルを切ったところで抜け出す。そのデルタブルースを追って大外からポップロックが迫り、最後は2頭の追い比べとなった。「彼はあの子を最後までしっかり走らせる、勝負させることができる」という角居の言葉通り、最後まで全力で駆け抜けた岩田とデルタブルースがオリバー騎手とポップロックに頭差で先着し、日本はもちろん、アジアの競走馬としては初めてメルボルン・カップを制した。日本の競走馬がオーストラリア最大のレースでワン・ツー・フィニッシュという歴史的な快挙を成し遂げた瞬間だった。
■これからも挑み続ける
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| レース当日夜にメルボルン市内で行われた祝賀会のひとコマ。左から角居勝彦調教師、岩田康誠騎手、吉田勝己オーナー |
日本に帰ってきた時、改めてメルボルン・カップのすごさを感じたと3人は口をそろえる。
「こんなに大きいレースで非常に嬉しい結果になりました。帰国後、日本での評価があまりにも高かったので、改めてすごいレースに勝ったんだと実感しました」(角居)
「23頭という頭数や雰囲気も含めて、やはり想像以上にすごいレースでした」(岩田)
「日本の競馬というのは、世界的に見ても非常にレベルが高いんだけど、メルボルン・カップは別格だった。非常に素晴らしいレースでしたね」(吉田)
だが、いつまでも勝利の余韻に浸っているわけではない。岩田は「今回はありがたいチャンスをいただきました。またぜひメルボルン・カップに、次はもっと自信を持って出られたらいいですね。自分自身、もっと成長してキャリアを積んでいきたい」と騎手としてさらなる高みを目指している。
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| メルボルン・カップ授与式 |
「春の天皇賞に向けてしっかりやっていきたいですね。そして次もこの2頭でメルボルン・カップを走れたら…と思います。ただ、これは(吉田)オーナーに相談してからになりますが」と角居はメルボルン・カップへの思いを語った。
彼らの思いは同じ。「再びあの舞台へ−−」。
それは2頭の走りに魅せられた日本の競馬ファンとオーストラリアに住む日本人の望みでもある。
最後に、吉田オーナーの言葉をここで伝えておきたい。
「リタイア後にゴールドコーストへ移った両親が寂しい思いをしないようにと、日本から持ち込んだ馬を置いてきたのがきっかけで、オーストラリアには何度も行っていますし、今でも馬を15頭ほど置いているんですよ。これからもオーストラリアとは密接な関係を続けていきますし、メルボルン・カップなどオーストラリアのレースに出場する機会も増えていくと思いますので、ご期待ください」
今年もメルボルンカップで彼らの勇姿が見られそうだ。
(文中敬称略)
Profile ほりよし じょーじ
日本での出版社勤務を経て、1999年に日豪プレス入社。ニュース記事のほかに、オリンピック特別号やオーストラリアのスポーツに焦点を当てた集中連載「THE VOICE」などを担当し、2001年帰国。現在、福岡を拠点にフリーライターとして活動中 |
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