MASUYAグループ 就職最前線
- BOYS BE AMBITIOUS ! 第3回 [2008/9/01]

新連載
食、自然、そして人…。本音で語ろう
KEN SADAMATSU
前号では、25歳から始めたレストラン、そしてケータリング・ビジネスとともに、カレーという料理を通して食文化の違いを紹介してきた。今回は、30歳での「鱒屋」の開店、人種による食文化の違いとともに、2000年シドニー・オリンピックでのケータリングについて語ってゆく。
(写真)シドニー市内ピアモントに設置したケータリング専用キッチン
第一部その3
1993年11月、「鱒屋」創業
シティ中心のオフィス街、主要ホテルに滞在中の観光客も歩いて行ける便利な場所――。鱒屋のあるオコーネル・ストリート12番地は、日豪羊毛貿易の先駆者として知られる商社、兼松江商の支社があった場所だった。
ただ、あまりにも店がみすぼらしかった。最大の問題は、開店前にガスが引けることを確認したにも関わらず、その後3年間、ガスが使えなかったことであった。電気の調理器では、18リットルの鍋の湯が30分たっても沸騰しない。食器洗浄機を導入できたのは開店1年半後で、最初の半年はシンクの中にためていた食器を、お客様が帰られてから、ウェイトレスの皆に洗ってもらっていた。1人でも人件費を節約するために…。
しかし、母親、兄に資金の援助をしてもらわなければ、スタッフの給与を支払うことができなくなってしまった。つまり、資金が行き詰まったのである。店にはお客様が入らなくなり、どんどんスタッフは辞めていく。万事休す…。いろいろな友人に資金繰りをお願いした。そんな時、ロブスターを特別価格で提供することを思いつき、観光会社に営業してまわった。ツアー・ガイドの方に店を知ってもらうためインスペクション(視察)に来てもらい、夜中の2時、3時まで話をした。人生、仕事、レストランの将来について語った…。それから1年後、新婚旅行のカップル向けのディナー契約がスタートし、2年後には、団体ツアーのお客様も来店してくれるようになった。
観光会社からの注文は、朝5時からの、たった5個の弁当でも炊きたてのご飯を使い、心を込めて作った。早朝なので、店長と調理長は店によく泊まり込んだ。ほかの店ではできないことをやる。鱒屋だからできるサービス。しかし、失敗も多かった。商品に対する苦情の手紙。ウェイターがお客様にお茶をこぼしてしまい、観光会社の方には内緒で3,000ドル支払ったこともある。VIP客だった。迷惑をかけるわけにはいかない。また、接客係の話し方に立腹されたお客様がいて、ホテルまで謝りに行ったこともある。土下座して謝った。その時、私より5歳若い観光会社のマネジャーの方が、人に対する謝り方について、私によく考えるべきだと話してくれた。私はその方からホスピタリティーに対する心構えを学ばせてもらった。その後、100食、200食の弁当の注文を各社からいただくようになった。
当時、シドニー・オペラ・ハウスで開催されていた「ジャパン・ウィーク」や、ダーリン・ハーバーでの「祭り・イン・シドニー」で、鱒屋は全力を注いだ。儲けを考えずにやったので、祭り当日に雨が降れば大赤字であった。その後、数年にわたり開かれた年に一度の「祭り」は、日本各地からの団体や踊り子など数百人がジョージ・ストリートを練り歩き、ダーリン・ハーバーへ行くというもので、いろいろな催しが1日中企画されていた。鱒屋は屋台で1,000食以上の焼きそばを販売し、オペレーションを担当した観光会社の、今は亡きイトウさんの統率力に感服した。こんなにシドニーに日本人がいるのかと思うほど、浴衣姿の日本人とオージーが集まった。その数、数万人…。
その後、98年ごろから鱒屋は、ディナー・タイムのプロモーションを現地の中国人や韓国人のマーケットに拡大していく。目指したのは、どの人種にも人気のある日本食レストラン。それは現在でも、名店長である大川さんのもとで進化を続けている。
日本人、中国人、オージーの食文化の違い
『米』
日本人は白いご飯を主食としているが、オージーにとっては野菜の一種でしかない。よって味のないご飯は食べづらく、フライド・ライス(焼きめし)などの方が食べやすい。しかし、フライド・ライスを食べながら、繊細な白身魚の刺し身を、日本人であるあなたは食べられるだろうか ?
『酒』
中国人は食事をしながら酒を飲まない人が多い。鱒屋、武蔵でもディナーに来店した中国人でアルコールを注文するのは5人に1人ぐらいしかいない。それとは逆で、オージーの場合は、ほとんどの人がアルコールを注文する。
『活魚』
日本人は活きた魚があった時、刺し身で食べるのが一番だと言う。しかし、中国人はそれを蒸して食べることを好む。また、オージーは、バターでソテーして食べることを好む。確かにすばらしい白ワインがあれば、私もバターでソテーをするのが美味しい調理法だと思う。
『量』
日本で寿司のにぎり1人前は、7カンと細巻き1本程度であるが、これはオージーにとっては前菜程度にすぎない。日本ではステーキ250グラムを大きいというが、オージーは500グラムのステーキをペロリと食べる。
『タイミング』
日本人は料理を注文して早く料理が提供されることを好むが、オージーの場合は酒のリズムに合わせて、ゆっくりと間合いを取って提供されることを好む。せっかちなサービスは食事の流れを壊すことになる。

2000年シドニー・オリンピックのケータリング
さて、シドニー・オリンピック1年前の99年より、日本の報道と競技関係者が来豪し、五輪準備のため、鱒屋を訪れていた。私は個人的に、スポンサー企業の会長の依頼で、数年前よりビーチ・バレーボールの佐伯&高橋選手のお世話をしていた。期間中は1カ月にわたり、フラットの値段は3〜5倍に跳ね上がり、働くスタッフの給与も割増となり、食材も数倍に値上がりした。
私は3カ月前から冷凍食材、容器、専用の調理場「セントラル・キッチン」で働くスタッフの住む場所の確保にかかった。ワーキング・ホリデー、学生ビザのスタッフを30人採用した。調理場はピアモントにあった鱒屋のセントラル・キッチンに併設した2つのスペース(300平方メートル)をリースした。テーブル20メートルを2ライン設け、20人が盛り付けて、3時間で1,000食の製造ができるよう設備を整えた。鱒屋グループとしては、シティ店、誠とも通し営業、その当時あった鱒屋ピアモント店では夜中2時までの7日間営業とした。
セントラル・キッチンのケータリング部門は、「24時間注文を受け、配達いたします」をセールス・ポイントとした。メニューは、ハート型の入浴剤の入ったビューティー弁当から、和牛ビーフとミニ・ロイヤルゼリーの入ったスタミナ弁当、特製クラブ・サンドイッチ弁当…。早朝、魚市場から食材を仕入れた朝一日替わり幕の内弁当や、赤飯とトンカツを入れた祝勝弁当、各種オードブルのメニューを作成した。しかし、開幕1週間前にテロ対策の規制から、メイン会場へのデリバリーが禁止となった。そして不正確な情報…。道路は一般車の通行が規制された。このままでは大赤字を抱えてしまう…。
私は、スタッフの中から、夕方5時から朝5時までの指揮をとるリーダーに井上君、昼のリーダーに宮下君を抜擢した。しかし包丁が使えるスタッフは数人しかいない。私は何度もイメージ・トレーニングをした。全てのスタッフをメニュー開発チーム、オニギリ・チーム、盛り付けチーム、発注チーム、配達チームと分割し、1人ひとりに責任を持ってもらった。
開幕から2日後、競技場への配達が可能となったものの、他店で起きていた問題処理などのため、私が実際に指示ができなくなってしまった。内部で起こる不平、不満、チーム・ワークの乱れ…。中盤ごろには、睡眠不足、疲労からスタッフが無口になり始めた。閉幕まで5日を残すころには、毎日スタッフの誰かが涙を流していた。そんな中から自然に指示をするリーダー的な存在が生まれていた。ナオコさんだった。しかし私は彼女には厳しかった。ウロンゴン、メルボルンから来た学生もいた。皆がオリンピックを観て楽しんでいるのに、なぜ自分たちは働いているのか ? と思ったに違いない。
閉幕後1週間が経ち、私は盛大なパーティーを開いた。オリンピック期間中、サービスと商品に関する苦情は1つもなかった。そして、日本のオリンピック団体から感謝状をいただいた。
その後、宮下君、ナオコさんは、2年以上鱒屋グループで働いてくれた。リーダーの井上君、配達の波多野一等兵は、数年後私に会いに来豪してくれた。また、メンバーだった佐藤君は、現在武蔵で働いてくれている。
私が応援した佐伯&高橋選手もボンダイ・ビーチで熱闘を繰り広げ、4位と健闘。私も体力の限界へ挑戦した。シドニー・オリンピックは大成功を収め、世界中にオーストラリアのすばらしさを訴えた。
私と約30人の素人ケータリング・チームにとってオリンピックは、一生忘れることのできない、人との出会いの場となった。私は言いたい。皆素人でもやればできるじゃないか ! Boys be ambitious !
食に関する第一部の最終回となる次号では、誠、武蔵開店の話とともに、レストラン文化の違い、私が目指す豪州日本食レストラン頂点への道を語ってゆく。今日はこれまで。Have you enjoyed ?

筆者プロフィル
本名:定松勝義。鱒屋レストラン・グループ社長。1961年12月5日生まれ。愛媛県北条市出身。84年、ワーキング・ホリデーで来豪。85年、オーストラリア移住。現在、シドニー市内で「武蔵」「誠」「鱒屋」のレストラン3店舗を経営。「1年間にわたり、連載をさせていただくにあたり、食の仕事を通じての20年間の思い出、自然、人とのかかわりを3部構成にして語っていきたいと思います」
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